先ほど 飾り付けを終えてまいりました。
展示ホールは この夏作り直したそうで 真新しいところ 一番に使わせていただく という 光栄に浴しました
急なお話でしたので どうなるか不安でしたが 屏風を持って下さっている 東京松屋さんから 二点貸し出していただき ガラス戸の中がそれにぴったりの空間となりました。
屏風というのは 生活の知恵だったのだ と思います。
どうにでも動かせる間仕切り というのは柔らかな発想 で マニュアルに書いてないと自分の頭では考えられない、答えられない という悲しさの対極にあるものでしょう。
Mt小山社 の小山さん、表具の斎藤さん 小山さん注文の品を持ってきて下さったばかりに 手伝うは目になってしまった伊藤さん ありがとうございました。
御蔭さまでバンザイ三唱 です。
皆様 どうぞお出かけくださいましね。
明日23日から 29日 10時から4時半 29日は1時までです。
私は27日11時から4時半 会場におります。
写真は小山さんが撮ってくださったものです。
どんな写真が現れますか、、、
ずいぶん昔 アメリカンクラブで10年以上書のクラスを担当していたころ
熱心に通ってくださっていた アメリカ人の方が You Tube で私が書いているところを見て 懐かしく このような勉強を日本でしたことが誇らしい と感激 Wordsworth Museum の館長さんにあて メールでこうこうしかじか といろいろ 考えを述べてくださった。
You Tube はU チューブ と思っていたほど何も知らない私だったが 他の外国の知り合いからも 懐かしい あなたの太田の家で40年前 お習字をしたり 着物を着せてもらったりしたことが忘れられない というようなメールがいくつも入ってきて ああ今は こういう時代なのだ と 納得 感心 した。
母も父も 日本に来た外国の知り合い、 知り合いが 日本にはこういう気の置けない知り合いがいるから行ってごらん と紹介してくる知り合い、 どんな国の人でも いらっしゃい と受け入れ ごく普通に 一緒に食事をし 散歩に行き お墓参りに行って ということを 喜んでしてくれた。
日本のお母さんと呼ぶ 独身女性の大使館勤めの外人も多く 週末になると私も一緒に太田へ という感じだった。
母は お風呂で体をこする習慣のない 我らより栄養のあるものを食べている外人女性と一緒にお風呂に入って あかすりで相手をこすり どんなあかがでるか と楽しみにしているところがあった。
お母さんとお風呂に入ったことが一番の日本の思い出と今も言われることが多い。
中にはあれは皮がむけたのだ と悲しそうな顔でいう人もあったけれど
両親とも 日本では日本語で とやりとりは日本語でとうしたけれど 母のユーモアは ふざけるのではなく 大変外人受けするもので 何か日本人離れした 当時の私から見るとスケールの大きなものだった
今も 私がもう一人いれば 同じような接待 付き合いが できるのに と残念に思うことがある。
You Tubeを媒体にして 何件もの懐かしさを味わうことができました。
ご親切な方々のおかげで 23日から29日まで戸山の学習院女子大学の展示コーナーで
“イギリス ワーズワース美術館で開催中の 小澤蘭雪書展” が可能になりました。
内装したてのきれいな良い会場です。
先日 ブログに ”なんだ これは!” と 怒って 好き勝手なことを書いた 副都心線 西早稲田駅 の1か2の出口から数分です。 正門にも もう一つの門にも 案内版を出して下さるとのことです。
急なことでしたので私は27日(11時から4時30分まで)しか会場にいられません。
でも 緑とレンガ のきれいな学校ですので どうぞ お時間がおありの時お出かけいただけましたら嬉しく存じます。
写真は 7月18日ワーズワース美術館でデモンストレーションをした際 館長さんが ”水仙” を読んでくださっているところです。
一生忘れられないひとこま の一つです。
きれいな言葉を声に出して読む ということの素晴らしさを 今になって実感しております。
副都心線 西早稲田駅 のホームにある ベンチ をデザインした あなたは プロではありません。
見た目きれい 腰を下ろせない 荷物置けない ベンチ あなたは一度でも自分で利用したことがおあり?
センスがよく見えても役に立たないベンチは 現代アートの美術館に持っていくか 同好会に置くべきでしょう。
現代アートの美術館にある座れない椅子はそれでも人の興味を 満足させることができる かもしれないという救いがある
足が短いと思ったことはないけれど 寄りかかり バランスをとると体が不安定になりきしんでくる。
寝られないように手すりを付けているベンチがでてきたときは 世知辛くなったものだ で済んだけれど このベンチには 人間性や 失敗と笑って済ませられるユーモアもない。
悲しい方ね
先日来の大雨で 戦前に建って書の教室に使っている家に雨漏りがするようになってしまった。
よくお芝居で 小さい桶や金盥などで あれここにも とか言いながら 漏る雨を上を見ながら受ける姿もおつなものだ と思っていたが
これを聞いた 大人の人が 先生それはだめです 屋根は 直さないと だめ と教えて下さった。
今日 Sさんの旦那様が 屋根に上ってブルーシートならぬ シルバーシートをかぶせてくださった。
多くの瓦の家が 同じようになってしまったらしい。
本職の屋根やさんは 地震でひどい目にあわれたSさんの家にさえその順番が来ないようなので 我が家は しばらく台風が来ないように願っていよう
この古い家で大勢の子ども大人が書を学んできた。
子供たちであふれていたときは 前の子供の背中に書いたり 葉っぱに書いたり 塀に書いたり 中には 天心書道会という看板の上に書いた つわものがいて まだそれが残っている
その日に習った字を書く子もいれば 中には 自分の名を書いてしまい ずっと証拠になっていまだに笑われているのもある
子供たちは周りがどんな状態であっても 書く時はしっかり書く
その姿を長年見て育った私は さあ まず心を整えて というのがよいのですよね とか言われると そういうことは一人の時に好きなようにやって頂戴 うるさいから とか なんだから書けません などというのは勉強する時言うことではない と 冷たく言ってしまうので
私はだめなのね
久しぶりに菊鮨さんへ
どうしてこんなにおいしいの というものばかり
きちんとしたものをいただいた
旅行、暑さ、台風 で 飢餓状態だった本屋さんへ
復刻版 雄山閣 の 芸十夜
八代目坂東三津五郎丈 と武智鉄二氏の対談
子供のころ 新聞などで変なおじさん と思った人と 太田に興行にいらした時 市内を 父とご案内した三津五郎丈 奥様と茶道の同じ教場だった
チョッと普通でなかったお二人の話ならさぞ面白いに違いない
芸一夜 うなずきつつ反省する点が多く 勉強になる
二夜からは これから読みます
本の末尾に編集部が
今日の観点から一部不適切な表現が、、、 と断っているが
このようなことを書かせる世の中の良い人ぶり も どうかなあ
二歳くらいの子供の額が親の持つかごに軽く当たり 子供はそのまま気にした風はなかったのに 親が騒いで 子供はその期待に添うべく ピーっと泣く。同じ泣かせるなら 買い物客がいる狭い通路を塞がず 邪魔にならないところに連れて行ってからにしなければ。
もし泣くことになったのが親のせいであっても 子供のせいであっても 人前なら まず黙らせることを考え せめて鳴き声を小さくさせようとするくらいの心遣いがあってしかるべきではないか。
と 本日デパートの地下で思いました。
作品 帝 は昨年 輝ける平家 に出品したものです。
友人の代理で国立劇場へ
二日間四回興行の最終回へ
豪華な舞台で 程度の高い会だった
歌舞伎の舞台で25日同じ出し物で 踊りこむ ということが無理なので 鬘や衣装をつけることによる体の動きの違いをどうするかというのが大きな問題なのだろうなと 素人の私は いつも考える。
今回は衣装に振り回されている人もなく 安心して拝見できた。
引き抜きが多い踊りのわきの着付け くまどり など 演者をどこまで助けられるか が プロの腕の見せ所 ではないかしらん
良いものを見せていただくと もっと もっと という欲が出てしまう。
ここ三年7月末は湖水地方の 生涯学習 カレッジHigham Hall での一週間の書のクラスの後 パリに回っていたので 両国の花火が再開されて二年目に今のアパートに越してきて以来毎年にぎやかに 楽しんでいた お客様をお招きする会から離れていた。
母が太田の家で作った お赤飯のおむすびを父がたくさん持って出てきたり、知人も一緒だったり 雨の時もあれば 雲で半分見えなかったことも 風の具合で 煙かったことも 寒くて みんなで父を次々いろいろなもので包んで周りを人垣で温かくしたこともあった。
今日いつもより ゆっくりと眺めていて 過去のその時その時 元気に集まっていた方たちの事を思い浮かべていると 時は流れているのだと 聞いているように 花火は 過去の人たちに想いを寄せる手段なのだと実感した。
7月末の花火は さあ これから熱い夏が始る というヨーイドン のような感じなのに比べ 昨日のひどい雨の後 涼しくなり また 日が短くなってきている今日の花火は 一種独特だったのかもしれない。
今朝早く Wordsworth美術館に行ったSさんから電話。
JTBの豪華なツアー20数名の旅を Dove Cottage, Wordsworth美術館に一時間が最長だったとかで選んだらしい。
Sさんグループが今回の書展に関する 英語を受け持って下さったのだけれど その素晴らしい出来栄えの御蔭で 現地の人々にまずは信頼されたのだと思う。
こちらが何を望んで展覧会をしようと思ったのか が 現地の関係者にに こちらから言葉で説明しないままにでも 解ってきたようで 大変私は喜んでいる。
皆様どうぞ Dove Cottageのhomepage からevent そしてJapanese Calligraphyとお進みください。書 が何かをまったく知らず どうして 日本人がこんなに多く来てくれるのかもわからなかった 人たちが とても素直に良いことを書いてくださっています。
このままでは義理が立たない と空海展へ
大雨の後 金曜日 6時半だったが 灌頂歴名の前には長く立っていられない。風信帖は昨年東寺でゆっくり拝見できたが これは大変久しぶり。自分が変わると 見る目も変わるのか 空海が ただの偉いスーパーマンから 大きい人物の持つ優しさを持っていることに私の目がいくようになったと思えた。
この名簿の中で 私は誰だったら一番嬉しかったか と考えて 見ることにした。
興春、千光、 明仁、ときりがない でも 麻田吉(下の棒が長い)門 かなあ
先達に自分の名をこのような書き方をされたなら この人についていこう と思うだろう。
久しぶりに歌舞伎へ
新作歌舞伎なので 歌舞伎を楽しんだという実感がない。
舞台装置 簡素化で 時代を感じさせつつモダンに見せている場面と いかにも 節約 大昔の子供の遊び、平面書割としか見えないもの また どうしてこの空だけ西洋なの? と思わせるもの が一つの芝居にごちゃごちゃに出てくる。 この先 こなれて良いものになるのかしら?
舞踊では 大人の男役なのに 手先だけが しなしなしているのは釣り合わないと思うことがあった。
普通の役者さんより美しい手の動きができる素質があるのかもしれないが 役に合わせないと宝の持ち腐れに
男役を主にしている役者さんの女役で 肩 二の腕の盛り上がりが くっきりと衣装の下に現れているのも 珍しい眺めだった。 衣装の生地か着付けか 隠しきれない筋トレ跡なのか
新作も取り入れなければいけないが 普通の器用な役者さんで間に合うような舞台を多くしていると芸が荒れる おもしろがってなにかをするのは 楽しさと その弊害と どちらをとるのか を考えなければいけないので 恐いこと、、、
待合室で手紙をたくさん書き ”すみません もう 疲れました。” という感じ。
機中で元気になったら続けます。 貧乏性でバタバタしてだめです。
でも
JALの受付が開くのを待っている列にドッと集団の女性が 割り込んで来て その人たちの地声でのおしゃべりを聞いていたせいかも
これではいけない
それより バンザイ の件を忘れたら罰があたります。
28日に
I’m so pleased that the exhibition will remain until the end of Oct. An exhibition of such standing deserves to have as wide as audience as possible.
という知らせをいただいておりました。
バンザイ 本当に皆様のおかげです。 ありがとうございます。
秋の庭の中での書はどんなかなー
オルセー美術館二階の回廊で来年の鳩居堂さんでの展覧会について考える。
昨年の”輝ける平家”に続き 今回は昔から意識にある後白河法皇を中心にしたい。
こちらでいろいろ見たり 歴史を ほんの少し知ったりするにつれ 義仲の乱暴さ など かわいいものに思えてくる。
地下鉄の線を間違え 歩いて帰ろうとしたら 皆が雨に降り込められていた。
変な時間だったが やはり食べようと カフェ ド ラ ペ で雨宿り
お昼は 眉山 の お寿司 帆立貝のお吸い物 素晴らしかった。 お寿司 と お寿司と一緒にいただいたお味噌汁も 大変おいしく これでは フランス人の良いお客様がつくはずだ と 納得
外国では 自分からは和食をいただかないことにしているので 珍しい体験だったが この味には パリも 東京も関係なく 落ち着いていただきました。 旦那様 ごちそうさまでした。 ゆっくりお付き合いいただきまして ありがとうございました。
帰り ちょっと素敵な庭園をご紹介しましょうと ご一緒したら 温泉銘 のある図書館の前だった。
お勉強のことを思い出しました。