寄席育ち

2017.7.27

たまたまユーチューブで圓生さんの 寄席育ち を聞く。

落語ではなく どうして噺家になられたか という内容のお話で 協会の顧問になられた後で録音されたものらしい。

噺家になるために生を受けたような生い立ちや 勉強の仕方 活躍ぶりを聞いていると 父が ”この人は昔はまずかったのだがなあ、、、” とよく言っていたのが不思議で 後年の素晴らしい出来の高座しか見ていない私は 本当にまずいと言われる時代があったのかしら と疑ってしまった。

師匠の話を続けて聴いていると ”戦後満州から引き上げてきて後 急に上手になった と皆に言われました。自分自身は何も変わっていないと思っていましたが 後になって考えてみて その理由があるとすれば、、、” と

確かに 上手でありながらへただった、人生上の経験が内容のある上手さを呼び込んでくれたのだ ということがわかった。

画面を見ると再生回数が多くないが 誠に内容のある 本物の方のお話を伺えた と偶然の出会いに感謝して 皆様にこの 寄席育ち をお勧めする次第です。

幻想交響曲

2017.7.22

誠次さんが好きな曲だったので1972年新宿厚生年金ホールにゲンナジロジェストベンスキー指揮の幻想交響曲を聞きに行った。

それからいろいろ聞いてきたが 今日の新日本フィル 上岡氏指揮のその曲はずいぶん違った感じがした。

いつものように演奏会に先立つ事前攻略レクチャーで興味ある説明を聞いた後だったからかもしれないが 第5楽章は音がどこかに引き込まれるような終わり方をしたり バイオリンの弾き方に 日本の妖怪 唐傘お化けがタップを踏んでいるような光景を思ったりした。

大熱演だった。

サマーコンサート として特別協賛があったらしく いつもよりたくさんの観客からの大きな拍手が続く中で演奏されたアンコール曲がリストのハンガリー狂詩曲第2番

連れと来ている人たちが ’よかった よかった 素晴らしかった’と言っている声を聞きながら会場を後にした。

時は流れ 種は実になる

2017.7.6

麻布のアメリカンクラブで書のクラスを担当していたことがある。

熱心に通っていたアメリカ人の女性が家族と一緒に数日間急に来日した。

20年ぶりに会うと 100円持って麻布十番の鯛焼き屋さんに行くのが好きだったというお嬢さんは勤めを始めているし息子さんはこれから弁護士になるところでもちろん背も親より大きくなっている。

太田の家に遊びに来た時我が家のお墓に連れて行って 大きな自動車会社の東洋支社長をしていた旦那さんに私の手には負えない強い草を抜いてもらったら彼の手から血が出たことが忘れられなかったが彼らにとってもそれは面白い思い出になっていたらしい。

今日は自分が慣れ親しんでいた外国を再び訪れる機会を目一杯楽しんでいるのがよくわかって一緒にいた私も嬉しかった。

一つの文字に対し カタカナ ひらがな 楷 行 草を全部一度に習うのは大変だったが 言葉の意味 それに関する雑学的なことなども知ることができて楽しく有意義なクラスだったと言われた。

彼らは本社のあるミシガン に住んでいるので ”親類のような家族が住んでいたウィスコンシン州の小さな町オークレアに何度か行って そこからミシガンに行ったことがある” と私が言うと ”昨日仕事で頼んだ正式通訳はオークレアの大学に留学していたと言っていた。”とその偶然にびっくりしていた。

”では日本の上智大学の人ね。” と私が言うと ”そう そう言っていた。”と

1964年夏私の家にAFSの留学生として2ヶ月滞在していたクリスティの父親はウィスコンシン州立大学オークレア校の学長に大変若くしてなり学校を発展させた人だった。

子供が日本にくると決まった時点では彼らにとって日本はトルコと同じくらい身近でない外国だったらしい。

クリスティは毎日細かい字で手紙を書き留守宅では それによって日本のいろいろな場所 人々その他を知ることになった。

私の父母が せっかく日本に来たのだから日本を知らせる為に彼女の時間を使う、と英語での社交から極力彼女を遠ざけ広島・岡山 京都、法隆寺の夏季講座 その他を私と二人で回らせた。

1966年に私がオークレアの家に3週間いた時には人が集まるいろいろなところで  クリスティが撮った日本のスライドを見せながら二人で日本についてしゃべったり 歌を歌ったりした。

その話を聞いた人が今度はこの集まりで話をしてほしい と頼んでくることも多く女の子二人はなかなか忙しい日々を送ることになった。

さて 感覚的に日本が近くなった為姉妹校を日本から ということになったらしく 数年の間に上智 関西大 と提携を結んだ。

というような懐かしいことを今日の話題からパーっと思い出し きっかけがあれば無から生じるものがあることを実感した。

何の見返りも期待せず あるがままの姿勢で人に相対してきた呑気な両親の撒いた種が誰も知らないところで実になっている、と感謝している。

 

 

 

 

太田市功労者及び徳行者表彰式

2017.7.5

7月4日

昨年文化の日 太田市から文化功労賞をいただいた。かって父も賞が設定されてから4人目位でいただいていた。

今回 題のような会の案内をいただき 様子がわからないまま出席したところ 長年地域の為につくしてきた方 寄付団体などに昨年の文化功労者数人を加え 出来たばかりの市民会館に市の関係者を別にしてして90人ほどが集まった。

表彰が済み 市長さんのスピーチの時 ”この市民会館に私が選んでかけた絵画の作者が東京からいらしている” とおっしゃった。

フーム そうなのか と思っていたら 今度は急に私の方を示されて

”そして あちらの小澤さんは、、、” と いろいろ話し出されたのは良いが 何か終わりの方で ”豪傑、、な 女性、、” とおかしな組み合わせの言葉になってしまわれ 大変真面目に進行されてきている会なので 私としては笑い声を立てるわけにもいかず、 ましてや 大声で言葉を返すわけにもいかず(危うくそれはとどまった) ”いえ いえ” と手を振るくらいで我慢をした。

まあちょっとした余興になったかも。

弘前

2017.6.17

私がおっちょこちょいなことをして することがなくなってしまった弘前に出かけることになった。

着いた日は大雨で バスターミナルでバスを乗り換えながら100円循環バス二種類をはしごした。

最初は市内を一巡 次は新しく開けたと思われる地域をぐるぐると一時間以上も走った。

窓が曇って外がよく見えないと言ってもこう回っていればなんとなく街の様子がわかってくる。

この値段のバスが10時から夕方まで3系統 10分おきに出ているというのはなんとも羨ましいことで、よく 車のない人たちに とお役所が奇特な業者と一緒に一日数本走らせているのを見たり聞いたりするが なんともわびしい風景になっている。

使い古しのバスでも親切な運転手さんの運転で10分ごとに出ていれば ちょっと細かく出て歩く気にもなろうというもの、、。

今朝はよく晴れ 通りかかった文学館 にまず入ってみた。昔懐かしい石坂洋次郎展だったが 中に青森に関係ある文学者の紹介展示があり とても興味深く長い時間館内にいた。

中でも葛西善蔵についての紹介がとても印象的だった。

昔 確か母から 本の内容までは教えられなかったと思うが ’子をつれて’ という小説の存在をきかされていた。題名だけで何か哀れで同情を引くような感じがしていた。

展示を見てみると 啄木もそうかもしれないが これは周囲の人たちは大変だったと思える人物だった。

今の世にもこのようなひとを大事に思って助ける奇特な人間がいるかしら? 一ヶ月も良いへやに泊める旅館はあるかしら? と、  考えようによっては 貧しい人が大多数だったかもしれないが いい加減なことを許す気持ちの余裕が世間にあったのかもしれない。

なんと彼がいた宿の部屋の床の間に森鴎外の書がかけてあるのが写真に写っていた。下の一文字半しか写ってないので意味不明だが名前はしっかり読める。

実は今回弘前に行くことになったのは鴎外の書一点を見せていただくというのが話の始まりだったので その作品の拝見はまたの機会になったが 考えてみれば 勤め先だった弘前にはたくさん彼の作品が残されているのかもしれず 次回また弘前に行く時にはその辺のことも調べてからと 思った次第。

弘前城でボランティアの方に親切に案内していただいたこと 桜の手入れについて大変良いお話を聞かせていただいたことなどは またいつか

 

お辞儀

2017.5.24

祖父や両親にお辞儀の仕方を教えられてきた。

どのタイミングでどのくらい頭を下げるか その角度は 手は 足は など 子供の私は素直に吸収したと思う。

しかし  若い時には心にある感情そのままを丁寧な態度として表すのが恥ずかしかったり、いろいろ失敗したり 後から反省するばかり ということも大変多かった。

今日 ある機会に 私の方がより深いお辞儀をしなければ と注意しながら 心からの姿勢をとったが その時の自分の嬉しい気持ちがとても素直に動作に出て 一生忘れない瞬間となった。自分でもきれいな姿勢だったと思う。

皆で呑気なことをして育ててくれた家族に感謝している。

ラ フォル ジュネ オ ジャポン

2017.5.5

始まった頃数年は行っていたがあまり混むようになって足が遠のいていたこの催しに今回切符をいただいたので行ってみた。

以前のように押すな押すな ではなくなっている。何処かで整理が上手に考えられているのかもしれない。

井上道義氏と新日本フィルが伊福部昭さんという作曲家の作品を取り上げた。

ゴジラを始めとする300本もの映画音楽を作曲した方 とある。

日本組曲から 盆踊、演伶(これでながしと読むらしい)佞武多(ねぶた)という曲は何かロシアの音楽に似ているような感じがした。

次の演奏が素晴らしかった。

マリンバをヤマハと一緒に進歩開発してきたという80歳の女性。

有名な方らしいが初めて目の当たりにして今まで聞いていたマリンバのボヨヨーンという響きとは違う 良い意味での枯れて澄んだ音色に気がついた。

筆を墨と紙と身体の関係を思い この先 を思い これからも自分のことで何か不平を言ったらバチが当たる と考えながら偉大な奏者阿部圭子さんに大きな拍手を送った。

Philippe Conticini氏

2017.4.18

4月17日

20日オープンするGinza Sixの内覧パーティーへ

まずは地下三階の能楽堂へ

入り口にスヌーピーのクリアファイルがたくさんあって ’全部一通りください’ と一気に幸せになる。

松濤から移築したという能舞台。多分見るのは初めて。昭和40年に描かれた舞台の松羽目、 私は入り口ホールに置いてある同じ作者の松のほうに親しみを感じた。

地下2階の食品に行ったら出られなくなってしまった。

試食すると皆欲しくなる。

仕切りの中で作っているのを見ているとそこのシェフと何度も顔が合い 横のカウンターでワッフルにのせたモッツァレラとトマトの一皿と クイニータタン アイスクリーム盛り合わせ を知人といただくことにした。横で6人ぐらいのグループが撮影をしながらテレビで聞いたことのあるようなダミ声や嬌声をあげている。

働く人たちはまだその場に慣れていず開店直後の大変さが思われるが 熱いものは熱く としようとしていることはわかるし二つの異なった料理を同じナイフとフォークで食べさせない気遣いが嬉しい。味もとてもしっかりしている。シェフが目の前でグラスに盛り付ける姿も丁寧で、慣れない店員さんたちにもイライラする様子を見せずゆったり指示を与えている。

賑やかな一群が出て行き私たちだけになった。

もしサインをいただけたら嬉しいのですが と言うと 喜んで フランス語 それとも英語で? といろいろ話し出した。

今まで一生懸命働いてきたこと、日本に昔初めて来た時 他の国と違っている、歴史のわかる国民だ、と感激してからなんども足を運んでいること、世界中に場をひろげてやっていたが ある時なんども一度に手術を受けるような病気になり 家族にも心配をかけ 考えが変わったこと。芸術だと思っているこの仕事を53才になった今自分のことを考え 自分の為にやっていこう と思うようになったこと。そして今度初めて日本に店を出したこと。

などと話が止まらなくなってしまった。

あなたはまだ若い と慰めるつもりで 53才といえば私の息子のような年じゃないの と言ったら そうか! と真面目な顔をするので テーブルを叩いて ’冗談!’ と言ったが もし私が早熟な娘だったら その可能性もあったかも知れない と少し反省した。

落ち着いた頃また美味しかった品を楽しみに訪ねてみよう

 

うなぎ

2017.4.18

4月14日

酷く遅いお昼 とゆっくり食べる時間のない夕食 になりそうだったので これはうなぎだ と思いデパートの地下のお店へ。2時を過ぎているのに 一時間ほどお待ちいただくこといなりますが 最後尾はここです と売り場の間の壁の前に点々と置いてある椅子に案内される。

お腹が空いた 疲れた なんだかんだと独り言を言いながら杖をついた女性が現れた。 これはこれは と買ったばかりのワーズワースの’湖水地方案内’という今まで読んだことのない訳本を読み続けることにした。お腹が空いていることをまだ言っているので余程 ’あちらにすぐいただけるところがありますよ’ と指し示そうと思ったが それをきっかけにされても困るので 黙っていた。

彼女の隣に座った女性とおしゃべりが始まった。整骨か何かの話が止まらない。自分が通っているところより良さそうだと思った隣の彼女がどうにか紹介してほしいとあれやこれや聞いても 混むからとか言って教えようとしない。

そんな意地悪だからいつまでも治らないのよ と言いそうになってしまった。

私の右隣の男性二人は もう何も目標がない とこぼしているし

みんなこれからうなぎを食べようというのに一体何を言っているのよ。

感謝して食べないと身につかないことを幼児期に叩き込むのが健康保険料問題解決の一要素かもしれない。

初めてのクアラルンプール

2017.3.29

3月29日

初めてのマレーシア という題にするには気がひける数十時間クアラルンプール滞在の旅から昨日戻った。

飛行場から市内への左側が夕焼け前方と右に雷と強い雨 パーム椰子 赤い土 沼?、

開発が続く都市 優しくおとなしい多くの人々 美味しいいろいろごちゃごちゃした食べ物 こんなにあるのかという程たくさん のショッピングモール 歩く場所のない道路

この 歩く場所のない道路 というのが驚きで 車道だけで歩道がない道路の脇を歩く 信号がないところを左右を見て渡る という行動は 一種若返りの方法になるのではないか と思うほどだった。一人では無理 頼れるような人や人々を探し一緒に素早く行動する。縄跳びに入るのは他の運動が全くダメだった私にしては得意なことだったが数十年ぶりにそのタイミングを思い出した。

今年中に書のデモンストレーションに再び訪れることになるマレーシア、 良いところなのでみんなで賑やかに行くことになると嬉しいと思っている。

スコール

ランドマークのツィンタワー

ベンガルブレッド

普通のパンが蒸し器に入っているが

蒸しパンのような水っぽさが無くて美味しい

国立博物館

2017.3.29

3月26日

回教芸術博物館 と国立博物館に行こう とまず国立博物館でゆっくり中を見たら本日はここまで となってしまった。

10以上の違う民族が集まっている これは大変

1966年にアメリカで 曲がりなりにもこの国はよくやっている それに比べて日本は楽なこと と思ったのもアメリカには異なった人種が一緒にいることを実感したためだった。

その時は 他に比べ中西部に長くいたので 北欧からの移民が多く地味で信仰心が厚く真面目な人たちの中で安心して日を暮らしながら この辺りの人たちが この大きな国を実際に背負っているのだと思った。

日本だって、、、 とすぐ反論する人とは私は友人になれない。

 

一瞬

2017.3.29

3月26日

来て良かった と思う一瞬がある。

何かこの国を知る手がかりがないか と思いながらも一人で遠出をするほどの勇気がない私は 朝の 無料おはようクアラルンプール に参加(私しかいない)、最終地点であるショッピングモールの紀伊国屋書店の中をゆっくり見て歩いた。

’16年版マレーシア内 エッセイ集 というのがありどうにか読めそうなので 店員さんに聞くと ’マレーシアを知る と言う本ではありません。読みやすい現代小説はこのあたり、歴史ならこちら、、 それともホラーがよければこちら、、’ と教えてくださったがとても根気が続きそうにない。

子供向きの本で探そうということになり売り場に案内してもらった。

気づかなかった明るく広い売り場で親切な店員さんたちが二冊出してくださる。

一つはボタンを押すと曲が流れ サヤサヤゲ、、 ’私知ってる これこれ!’ と

中学の教科書にあったかJRCでみんなで歌ったか、、、

Malaysian Children’s Favourite Stories と一緒に入手。

さっきの店員さんにお礼を言ってから出よう と思ったが見当たらなかった。

お茶にしようと外でバッグの中味を点検していると(なんでも持っているが役に立つ時にそのものが出てこないという特色がある)

思いがけない方向からその彼が現れた。

もちろん成果を報告。良かったですね と喜んでくれた本人に本を持ってもらって撮ったのがこの写真です。

パソコン検索からは得られない空気を感じました。

来て良かった

では 一休みしたら国立博物館へ。

マレーシア

2017.3.24

今年中にマレーシアで書のデモンストレーションを行えることになり いろいろ思いを巡らそうとしたが どうにも今ひとつ掴みきれないので 百聞は一見に如かず と考え、と言うより思いつきで 2泊4日という酷いスケジュールで現地を訪れてみることにした。

ただ空気を吸って来るだけになりそうだけれど 相手の国に対する誠意かな?

では明日から行ってきます。

 

右之助丈大活躍

2017.3.16

3月14日

引窓の母親役と助六の後見で 市川右之助丈熱演。

ひょっとして引窓の主役は母なのではと思うくらい。

新蔵丈と共に長らく学習院国劇部のご指導をいただいている。

助六は前の歌舞伎座で最後に観た時より演者に馴染んできている。

場を踏むということなのだろう。

花道から離れた席だったので瞬間私が一番好きな11代目がそこに と見えることがあってこれが伝統芸 と嬉しかった。

いろいろ考え自分のものにしているが時にリアクションが 助六という古いゆったりしたリズムから外れる。

外部での新規観客獲得用演技との使い分けが必要と思われる。

兄 白酒売りに喧嘩の仕方を教える ”屋形船を蹴こむぞ” は悪くないが 11代目にはもっとほわっとした間があった。

家に帰ってはその仕草を一人で試し悦に入っていた頃が懐かしい。

 

眠くならないクリスタルボウル

2017.2.25

祇園精舎の鐘の声 に一番近いと思われる音 クリスタルボウルの演奏をお聞きください。

手のひらを上に リラックスして 演奏中寝てしまって構いません。皆さんあっという間に寝ます。

とのこと

素直にその通りにしていたが どんな動きでどう演奏するかに興味が行ってしまい いつまでも同じボウルの周りを擦っているのがポイントなのか とか それを定音部にしながらちょっと入れる他のボウルの音を さあ次はどこに行くか 私ならあの赤いの などと見ていたらあっという間に30分が経ってしまった。

無常堂に寝ている和尚さんたちのためにはもっと澄んだ 間の良い玻璃の音でなくては

聞かせよう という意識がいけないのだと思う。

なかなか難しいものです。