日本におけるロシア年 ロシアにおける日本年 閉会式

2019.7.1

 

前駐日ウクライナ大使夫人の希望とチェルノブイリ事故30周年に関しての知人のウクライナ行きに誘われたことによって2016年 キエフで5回書のデモンストレーションをした。

心のひだが日本人と似ているウクライナの方達とのワークショップの濃い内容の報告に興味を持たれた駐露日本大使の閃きから 昨年初夏 ボリショイ劇場での開会式出席に続き 秋モスクワとニジニノブゴロドという都市で6回のワークショップを開かせていただいた。

このように 自分では何も考えていないところから何かが始まり、奇遇、偶然の重なりによっていろいろなことが身の上に起こるのがいつものこと と思っている。

6月29日の閉会式は厳戒態勢の中G20終了を待って 大阪いずみホールで両国首脳出席のもとに行われた。

お二人のたっぷりとしたスピーチも 柔らかく ’日本年だからというわけでなく 今日チャイコフスキー音楽コンクールで日本の若者が実力で2位になりました おめでとう’ という大統領の言葉に笑いと拍手が起こったりした。

相馬子供コーラスと国立モスクワ音楽院室内合唱団の演奏のプログラム前半も予定どうりに聞いていらした。

進行も日本らしく緻密で滞りなく盛り上がり すっきりとしたとても良い会だった。

 

帰り ウクライナ ロシア 大阪 とご一緒した方々の一人からのメールの中に

時間も、費用もそして気力と努力を必要とするイベントを主宰され 本当にお疲れ様でした。

必ず何処かで報われることと確信しています。 お疲れ様でした。

と書かれているのを見て驚いた。

何かをするという自覚が全くないままにやってきていた。主宰と言う言葉など思いつきもしなかった。

楽しくニコニコしていただけの私としては 特に書を勉強していらっしゃるわけでもないのに 一緒に動いて助けてくださった同行のかたがたに合わせる顔がない  と今更ながら十分に表現できない感謝を深くしている。

 

 

 

閉会式記念コンサートプログラム

 

演奏内容

山田寺

2019.6.6

5月31日

貫名菘翁の 山田公雪冤碑 を 楷書としては最初に 菘翁研究に深く携わっていらした伊藤神谷先生にお教えいただいた。

字を書くことだけを考えていたので 内容については通り一遍にしていた。

先日 たまたま時間つぶしをした書店へ気持ちとして軽く求めた永井路子氏の 美貌の女帝 を読み 持統、元明、元正 三人の女帝と山田寺創建者 蘇我倉山田石川麻呂 とのつながりを知った。

今回 予定していた奈良での陶器への字つけ?はこの先への様子見、試しに止めることにして

一日を観光バスでの飛鳥周遊、次の半日を山田寺行きにあてることにした。

’何もない所に行ってなにをやらはるのですか?’ と不思議がりながらも陶器の先生は一時間半程かかる誰もいない山田寺跡にお連れくださった。

すぐ古代の出土品を掘り当ててしまうので そういう時は ’今のは見なかったことにしよう’ と皆で言って工事を進めてしまう という話を子供の頃耳にしたものだったし 古墳のようなものも多い土地に私は育ったが それは皆歴史以前の事物 おおらかで気楽な風景だった。

しかし 今回 大神神社、明日香コースで ガイドさんの説明を聞きながら古墳、神社仏閣を移動していると そこに生きた人々の生々しい人間関係が複雑に一緒に身の回りに付いてくる感じがした。

蘇我倉山田石川麻呂は讒言によりその寺 金堂前の礼拝石上で自殺、 のちに荒れた寺を再建、雪冤を果たした天武天皇の妻 持統天皇は石川麻呂の孫、下って天保12年に子孫の山田重貞が 菘翁に書かせたのが 山田公雪冤碑・

と いろいろ学び、前の日の重い気持ちを引きずって行った先は何もない空間だった。

低い丘や木立に囲まれ 最初それほど広く思えなかったが 申し訳のようにポツポツと立つ標識を見ながら歩いて廻ると大変大きな場所だったことが実感できた。

本当に何もない 音もない が 様々な濃淡の緑の季節、足元は黄色い花に一面覆われている。

人々の絡み合いや悲しみすべてが空気の中に吸い込まれてしまっているようで 何かほっとして 安らぐ気持ちになってきた。

裸足になって少し高い金堂跡に立ってみた。

 

貫名菘翁が書いた碑文

 

 

山田寺阯

 

金堂前の礼拝石

 

金堂跡に立って

 

1970年代に発掘された回廊

藤原道長が参詣した後、間もなく山崩れによって倒壊した

これが原物

飛鳥資料館にあります

数年ぶりの蘭蝶

2019.6.2

6月1日 紀尾井ホール

ここしばらく伺えなかった富士松小照さんの舞台へ

数年ぶりに聞く 蘭蝶 は 小照さんがご自分の道にどう向き合って時を過ごしていらしたかがよくわかる素晴らしいものだった。

どの箇所もより深く、より変化に富み 内容 言葉の意味に即した上での 超絶技法 と言える技で満たされている。

最初に耳にした時から天賦を持っての演者 とわかっていたが 磨きをかける ということの凄さを目の当たりにして衝撃を受けた。

客に媚びない清潔な求道者 という姿勢は 流しが基の新内の世界で 今だからこそ維持できる稀有なものなのかもしれない とふと思った。

 

昨日国立博物館で

2019.4.19

風信帖を一緒に見た方たちと別れ今まで二回共ショートカットしていた会場内をゆっくり歩き

初日に ’東寺 弘法の湯’ という入浴剤をまとめて送ってもらう手続きを頼んだ売店の男性に ’品物 無事到着 役立ちました’とお礼を言って ’覚えています 覚えています ありがとうございました’ とニコニコしていただき

出口で 何か飲み物を でもやはり何かお菓子を と 結局一番大きな光悦まんじゅうを手にしてしまった。

テーブルが一杯だったので ソファーで膝の上にお盆を置いて 付いてきた羊羹用ナイフのような大ぶりのカッターで普通のお饅頭の3.4倍はある品を切っていたら そばのテーブルから よろしければ一緒にここで と声をかけていただいた。

よし 手伝ってもらえば助かる とその二人におすそ分け 話していると アジアで18年 そのうち12年を現在上海でイタリア料理店を経営している人とシェフだった。

18年もアジアにいて 日本には初めて3泊4日で来たとかでその感激の仕方が大きく 私は久しぶりに新鮮な観光客に会った思いがした。

今の観光客はスマホの画面と現場にしか目をやっていないように見える。

日頃の喧騒を離れ 美味しいものを食べたいというので 6席の天ぷら屋さんと宣伝していないお鮨屋さんの話をすると 昨日お寿司を食べたけれどその宣伝していないお店にいきたいとのこと

心配するより 幸い暇なので 私も一緒に ということにした。

わたしは早く帰るので この額を置いていくから 残りは自分たちで払いなさい とメモに書いて見せた。

もちろん僕たちが招待する と言ってくださったがそうはいかない

少し早くお店の旦那様に出て来ていただくことになったが 時間があるのでゆっくり公園内を歩いて

これが一番古い野球場 イタリアでは野球はしない と関心なし

コルビジェ設計のビル 中を見なくてもいいや

まだ咲く美しい桜 美しい と綺麗 の違い 上手に説明できず

キョロキョロして足を止めなければこの道を通って次の駅まで歩こう と言って アメ横に入った途端 その条件はどこかへ飛んでしまい

浴衣を、 ガールフレンドに着物を買う、 とあれもこれも欲しくなってしまった。

新しいものも、 着ないままタンスから出て来たと見える綺麗なものも選り取り見取りで 気のいいお店の方が 最後に羽織の紐や鼻緒の色がしっかり見ればちょっと違うかなあ という男物の大きな下駄などプレゼントしてくださった。

アメ横に入る手前の信号を待つ間 ’外国で この一瞬 この人 が一生のその国に対する思い出になることがあるが 今が その時だ’ と言っていた。

私も スイスというと こちらが何か聞いたわけでもないのに道路の向こう側から飛んできて 道を教えてくれた太ったおばさんがまず脳裏に浮かぶ。

でも この感激した話を日本に帰ってスイス大使館の男性にしたら ’それはスイスが観光で食べているからですよ’ とあっさり言われ ちょっとそのお役人にがっかりしたという事実も付録になっている。

さて 30代40代と見えるイタリア人二人組は銀座の着物姿の綺麗な女性たちに目を奪われながらもサッサと歩く私について無事カウンターへ

それからの 食に対する態度 店主に対する尊敬は 自身の深いところから静かに出てくるものと解る見事なものだった。

ご主人も 解る人には解るのですよ と喜んでくださった。

用意してあった私の封筒は こんな時はまあいいじゃあありませんか と受け取っていただけず ご馳走になりました。

 

至福の時

2019.4.9

桜の木の下で花びらを浴びていると そのひとひらひとひらが 実は 周囲の愛でる者たちをこのまま樹の中に吸い込む序幕を演じているのではないか とちょっと怖くなることがあるが

ここ10階の空に舞う花びらは 上昇気流に乗っているせいか 軽やかに キリッとした動きで上がるだけ上がるとゆっくりと横に 斜めに時間をかけながら漂っていく。

この季節 この風景にその都度新鮮な愛おしさを覚え 浄化される思いがする。

管理人さんはとてもこまめに周囲を綺麗にしておいてくださる。

今朝 黒猫ステーションの奥の方に花びらがあったので ’まあこんなところにまで お邪魔して’ と言ったら ’花びらが入ってくるのを見ると心が安らぎます。’ と

そしてさっきエレベーターで一緒になった佐川のお嬢さんは ’このマンションのそばに来ると立派な桜がたくさん見られて良いです。散る花びらの中を配達していると嬉しいのですが その度に悲しくなります。’ と言ってくださった。

 

 

 

 

写真は「太田の庭の桜」

ソローキンの見た桜

2019.4.3

昨年5月26日 モスクワのボリショイ劇場での ’ロシアにおける日本年’ オープニング式典に出席した時 南海放送65周年記念 ソローキンの見た桜 映画製作関係者の方々にご紹介いただいた。

日露戦争の時 松山には9000人ものロシア人捕虜がいたという。そこで亡くなった90数人のお墓がロシアに面して建てられていて現在でも地元の子供達がお参りや清掃を続けているというのが導入部になっている。

イッセイ尾形の臭い演技、カラーの色調(言葉がダブってしまった)が朱色 茶色が強く 主役の唇が妙なオレンジ色に光っていること、最初の小競り合いの場面が他の場面とスピード感が合わない 日本人女性主役の英語で話す様子が現代アメリカ人に習った様に見えること など気になってしまった。

桜の映像が素晴らしい。私の理解に間違えがなければ 映画の中のソローキンは相手からその素晴らしさを話に聞いただけで日本の桜は見ないままロシアに帰ってしまったのではなかったか。

画面いっぱいの美しい桜の風景が映画の山になっているので ちょっと筋を変えてでもソローキンと実際の桜を結びつける場面があったほうが どうしてここで急に桜なの と思わずに済んだのではないか。

しかし理屈はどうでもよく 桜に酔っているところにどんでん返しもあって話は一挙に盛り上がり感激して見終えた。

製作に関わった方たちの強い気持ちがわかる良い映画でした。お勧めです。

 

 

国立劇場 夜桜

2019.3.28

思わぬ拾い物

2019.3.26

ただ日にちの関係だけで切符をとった今日の国立小劇場での歌舞伎公演、

真山青果の元禄忠臣蔵御浜御殿  扇雀丈のセリフは良いが 相手役は声は良いのだが 気分が上滑りしている。

昔 真山美保氏が家にいらして興行を依頼され 断ることが不得意な父がああまた引き受けてしまった という母の声が 地方で台詞劇 というのもねえ という言葉と一緒に耳に残っている。

今日の舞台も拍手も多く皆熱心に聞いて楽しんでいたが 20年前だったらここでも拍手が起きたに相違ない というところがスルーされてしまっている。内容に思い至らない ということなのだろう。

ここしばらく ブログを書く言葉を思い描いてはいたが キーを叩くまでに至らなかった。

いろいろな考え方を認めなくてはいけない という今の風潮は かえって反対にその風潮以外のいろいろな考え方をすることは許されないのだ ということなのではないか? と 何か面白くない 諦めのような気持ちになっているのだと思う。

さて 次の出し物 積恋雪関扉 今まで見た大ベテランが演じるこの長い舞踊劇は退屈にしか思えなかったのだが 今日の主役の二人は素晴らしかった。

菊之助丈の溌剌としたきれ と古風な顔立ちの安心して見られる技量を持った梅枝丈。このような力のある若い女形の存在を知らなかった。

この二人 先が見えない世界にある時不思議と現れることがある 救世主 にならないかしら。

 

 

東京国立博物館 顔真卿 展

2019.1.16

オイルショックの後 誠次さんはアラビアにゴマをするために5年間に3回診療に行った。

その1回目の時 香港の乗り継ぎで買った筆をクウェートの税関で ’危ない 先が尖っていて武器になる’ とニヤニヤした係官に言われ 数日後に空港までわざわざ受け取りに行かなければならなかった  という話を久しぶりに思い出した。

もちろんアラビアに強い専門家と一緒に行ったのでいろいろな手配はできていたはずだった。

今朝 顔真卿展の出口から見始めたので 誰もまだその大きな部屋にはいず 私一人だったのだが 筆記用具を出してメモしようとしたら 係員が、、、

私が ’大丈夫です。これはシャープペンです。’と言ったら ’シャープペンもいけないことになりました、混んでいる時人を傷つけたことがあったとかで、、 これを ’とゴルフ場で使うようなペニョペニョした鉛筆をくださった。

そのうち ガンをつけたという騒ぎになるので 眼球を出しておいて行ってください ということになるかもしれない。

さて

思いがけず 一つの部屋に日本の名筆が置いてあることを発見。

宝の山に気もそぞろになってしまう。

昭和62年3月銀座で 春 今 春に想いを寄せて という題で個展をした時 コスモ石油の社長、中山善郎氏が ホッとする先生の個展をお祝いして という題で文を寄せてくださった。その中に

博物館から、’平安時代の文書を見ていてこぼれた涙の訳が知りたい、’という葉書が来たと思えば、かって私の机の上には現れたことのないスヌーピーの絵葉書に、’社長さんのお手紙で、何かがふっ切れたようです。ワーイ!’と書いてあったりします。

という部分があった。

この時からずいぶん時間が経って その間も細く長くずっとこの素晴らしい世界の中で過ごしてきている訳だけれど

今日 また目にした伊都内親王願文は世界の書の中で比類のない孤高の位置を占めているもの と実感した。

書いた人のことを その人物、人生の幸不幸 といった小さなことでなく、もちろん字が上手だ下手だ といった些細なことでもなく、人間としてこれを書いた人が存在した という事実だけが見ている我が身に染みて、 本場の中国でなく日本人によって書かれたものということが哀れで、 素晴らしいものが国を超え 時代を超え この世に生き続ける奇跡 がここにあるようで感無量だった。

 

 

懐かしい時

2018.12.31

12月29日

平成5年に営業を終えた帝国ホテルのフォンテンブローで青春を過ごした方達が 定年 また定年後も続けて数年を勤めあげる時が来ている。

20歳代 メインダイニングに行くのはまだ早いと思っていた頃 エレベーターからフォンテンブローの入り口まで10メートル位を案内するためだけが仕事の、お年のホテルの看板の男性が ’若い方にこそ来て欲しいところ’ と雑誌のインタビュー に答えていらしたのを読んで出かけたのが始めだった。

忙しい連れ合いと 月に一度くらいは ちゃんとお互いの顔を見てゆっくりきちんと食事をするのも生活のメリハリ と思い、村上信夫料理長が採算を度外視、勤めている方達にしっかりしたメニュー、サービス、味を残すために月に一度の会を催すようになられた時だったので 海外に行っている時やよほどの予定がない限り通っていた。

1テーブルに三人の係りの方がついてくださっていたのは知っていたが その三人のグループが8組あったとかで常時24人がチームワーク良く動いていたとか、

いろいろな話を聞くことが出来たのは 今夜その方たちの忘年会に混ぜていただいたから。

女性は会計にしかいなかった時代だったのでフォンテンブロー同窓会に参加した女性は私が初めてとか

折角の集まりの邪魔になってもと思い早めに失礼 と考えながらもある意味大雑把な活気にあふれていた時代の楽しい話を聞いていたらあっという間に時間が経ってしまった。

また味わいたい品をみんなで思い出したり、3番というテーブルだったと教えてもらったが、そのいつもの席からの景色を思い浮かべてなんとも懐かしい時間を過ごした。

勉強のための海外派遣も多く、出席の皆さんによると、今の人たちは知識を持って入社するが、当時は何も知らずに職について 職についてから なんでもが新鮮なので必死で勉強したとか

その必死で勉強した方達だからこそ定年後も いて欲しいと頼まれるくらいの位置を得たのだと思う。

この忘年会の前 村上先生のお墓参りに行ってきた。

先生が数歳の時お母様がなくなり その後を追うようにお父様もなくなってしまわれて そこから小説以上の先生の人生が始まったわけだけれど、そのご両親の倍以上のお年を重ねられたことがわかる墓碑に感無量だった。

そのうち先生がいつも見ていらっしゃる空の写真をご覧いただきますね。

 

ヒェーッ!

2018.11.21

談志まつり の切符をいただきよみうりホール21日昼の部へ

中入りの後 談志師匠の1967年録音の平家物語題材の噺

私自身は談志師匠の噺には昔から別に興味もなく 師匠と一緒にラジオに出ていた方から 大した人だ と感心している話しを聞いていただけだった。

若い時の伸びやかな声での話しぶりを聞いてその力の大きさを思い知った。

この音源での出演の後に続いて舞台に出る噺家は大変 と 自身も言い、談志師匠の実際の舞台を一度しか聞いていないという出し物を談之助師匠が

どうしてやらないのかと聞いたところ 面白くないから と言うのが家元の答えだったそうな

オレンジ色の衣装の師匠が落語で講談を両膝を両手でバンバン叩きながら熱演する姿が 芸人の哀しみのように思えて引き込まれたところでその噺の盛り上がりになった。

大阪で育った武智鉄二氏は 子供の頃寄席で父親に 笑ってはいけない と言われたそうだが 私はラジオの寄席中継でどっとお客が笑うと 今の笑いには品がない と母がよく言うのを聞いて育った。

後でロビーに張り出された演目表で それが 五目講釈 と言う噺と知ったのだが

口調は立派な講談なのだが内容はしっちゃかめっちゃかでその歌舞伎の名場面などが 映画で見るニューヨークのパレードでの窓からの紙吹雪、一時の蜷川氏の舞台の桜吹雪 といった豪華さで言葉が降ってくる。

私はもうだめ状態で 一人で そう 一人で ヒーッとかひぇーっとか あらぬ声を張り上げ一人で拍手 周りは白けたかもしれないが かまっていられない。 どうしてみんな笑わないのよ と思う余裕もない。

内容 言葉を思い出すすべもなく 帰ってから便利なインターネットで調べると

江戸人が好んだパロディー落語 できたのは明治中期 この当時すでにあまり口演されなくなっていたのでは  とある

これはなんだ!!!

もし私がお金持だったら 家のお仏壇の前に談の助師匠を招きこの 五目講釈 を演じていただき仏様と私一人で聞きたいと

そうしたら嬉しくてお位牌がカタカタと音を立てるのではないか と思ったら涙が止まらなくなった。

 

 

 

蘭の会書作展

2018.11.17

昭和六十年の夏 初めての会を銀座越後屋ギャラリーで開いて以来、

毎年、近頃は二年に一度 銀座で書展を開いている。

 

会場でしか会えない方 知人の知人だったり

実は近所にいることが解ったりして輪が大きくなって定着するケース

身辺の状況の変化で復活される方

遠い昔 一度お目にかかった方がずっと私からの書展の案内状に元気づけられていたと 十数年経って二度目の出会いとして会場にいらっしゃったケース 等

かつて会場内で活躍して下さった方々が見えない姿で戻ってそこにいらっしゃるのが解る気持ちがする。

大事な時間を皆様と共有していることを実感している毎日です。

 

明日、五時迄です。

ぜひ、お出まし下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

蘭の会書作展 パーティー

2018.11.14

オープンしたばかりの外国人記者クラブでの

パーティーの様子です

 

 

 

 

 

 

父親の持っていたカルタの絵を使って

知盛の説明をしています

蘭の会書作展

2018.11.14

大勢のお客様をお迎えし、元気に飛び廻っています。

皆様 今回会場が広くスッキリ より良くなったと言われておりますので

その進化をご覧下さいまし。

 

 

 

 

蘭の会書作展

2018.11.13

会場の様子です

 

 

小林旭さんの奥様が1960年代にモスクワ映画祭に

出席された時の写真を持つ私

 

 

父の描いた絵

 

金澤本萬葉集 臨書 と 字を書いた杯

 

空海  金剛般若経開題残巻 臨書