題名のない音楽会

2017.12.13

12月12日

1964年 題名のない音楽会 が始まってすぐ数回聞きに行った。

淀みない黛敏郎氏の語り口がとても印象的だった。

はっきり覚えていないが 何か 同じ頃 東京交響楽団を解散するとか身売りするとかいう話に なんとゆとりのない考え と大変憤ったことも思い出す。

その時以来の同じ番組収録にまん真ん中の良いお席で参加する機会をいただき 感激ひとしおだった。

バーンスタインで一日分

次いで 世界が称賛した日本人作曲家の音楽会 という題で 今年のラフォルジュルネで聞いた伊福部昭氏の曲 と黛敏郎氏の若い時の曲が取り上げられた。

華麗なテクニックのバイオリン 日本のリズム ところどころ東映映画を思い出す懐かしさの前者

現代音楽として出されたという後者は 当時聞けば珍しかったかもしれないが 今では こちらも身構えずに十分楽しめる。

司会者と指揮者井上道義のやりとりを楽しく聞きながら 年代によって知っていることが違いながらも同じ材料をそれぞれに楽しむ空気を意識した時間でした。

奈良へ、、、写真その3)4)

2017.11.23

11月20日

今日は朝からゆっくりお皿に字を と思っていたが 書 と違うのは いくらでも楽しく次々好きなことができてしまいキリがなくなってしまうこと。そしてそのキリのなさに飽きてパッと止める時が来ること。

今回もお昼過ぎた頃に もうここまで と思ってしまい やめてしまった。自分らしくないと思うのだが 書を書いている時とは何かが違うのだ と実感する。

短い時間 思うままに気楽にやっているのに がくっと疲れが出るのも書の時にはないこと。

さて空いた時間をどうしようと思ったら 焼き物の先生が降り出した冷たい雨の中を唐招提寺まで車で送ってくださった。

高校で 堀辰雄の文章を教科書で学んだ時 作者の写真を見て 丸いメガネも毛糸の帽子も病人のような風も嫌いだったが

エンタシスの柱に手を触れた時に感じたぬくもり という部分がその後何かにつけて自分の手が歴史を経て乾いている柱にそっと触れているように実感されるようになった。

氷雨の中 柱をただ見ているだけで 自分の手のひらに温かさを感じるのはなぜかしらん。

奈良の、、、  その1)の写真

2017.11.23

11月19日

京都紅葉人出の真っ盛り 競馬の野外馬券場が、、でより混雑しているらしい。

後で奈良に行かなくてはならないので荷物を持ったまま知恩院さんへ

受楽寺山門揮毫の際の奇跡的な出来事以来 大変身近に思えるようになったこのお寺は その宗派の特徴なのか ゆったりと参拝者を受け入れ そこで働いている人たちも親切な感じがする。

荷物を預けるところがありますか と聞くと ここで預かってあげましょう と 思いがけないところで言われ、また一気に改めて良いところだ と思うようになった。

帰り ありがとうございました 気持ちばかりです とポテトチップスを差し上げたら ワッハッハ と大きな声で楽しそうに笑ってくださった。

 

 

奈良にお皿の字付け?に参りました

2017.11.23

11月19日 知恩院

 

11月20日 飛火野の鹿

 

11月20日 唐招提寺

死の島

2017.11.14

11月11日

今日の新日本フィルコンサートは 死 が主題。

いつか 何かの美術案内本で見て印象に残っていたベックリンが描いた 死の島 を題材に二人の作曲家が作った曲を聞く。

ラフマニノフは 白黒印刷の絵を見て作曲、後からカラーの現物を見て これを見ていたら違った曲になっていただろう と言ったとか。

予習講座でいろいろ興味深い事を教えていただく。

この白黒 という言葉で曲を聞いていると 正面のパイプオルガンが 死の島 の絵に重なり船がオルガンの中央部分に入って行くような感じがした。

(グルジア)ジョージア出身の 予習講師の先生が 美しい美人 そして ひょっとして 狂奏曲 になるかもしれない と表現された若いピアニストの演奏はたくさんの男性の客を集めほぼ満員。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番

自分の世界を展開する音は つやつやとした珠を転がすようだった。

狂奏曲 にも競争曲にもならず 指揮者とソリストが蜜にコンタクトをとり オーケストラが彼女の気持ちを吸い上げて広げているように思えた。

メロディーの息が長いのがロシア音楽の特徴 と教えていただいたが

詩や文章の形容詞がとても多く ロシア人のスピーチはベテランの通訳でないと 訳が解らなくなってしまうことがある と聞いた事もある。

おおらかで力強く魅力ある演奏に観客は大喜び のった彼女は ドビッシーの月の光 とシューベルトのセレナーデ(彼女の編曲と紹介)で拍手に答えてくださった。

マレーシアで書のデモンストレーション

2017.11.3

写真の番号にそって後から文章を入れる予定です

10月26日

1 紹介パンフレット

 

2 荷物整理

 

10月27日 前半

3 UPSI大学 会場入口

 

4 司会のお嬢さん達

 

5 藤原行成の「花」を書く

 

10月27日 後半

千野境子さんによる Lecture on ‘ASEAN and Japan’ at Petronas University

6,7 雪月花のバナーを使っていただく

 

8 記念品をいただいて

 

9 記念撮影

 

10 図書館の偉容

 

11 F1の車

 

10月27日 夜 イポー泊り

12 野菜

 

13 元気の良い魚

 

10月28日 クアラカンサー

14 モスク

 

15 行列

 

10月30日 前半 UPM大学にて

16 人混み

 

17 先生方も書きたい

 

18 全員で

 

10月30日 後半 日本大使公邸にて

19 会場入口

 

20 会場の様子

 

21 心

 

22 熱

 

23 揮毫風景

 

24 屏風に書いた心

 

25 今回の旅で一番の収穫。

公邸で拝見した宮川大使御母堂の書

 

 

べったら

2017.10.20

10月19日

毎年べったら漬けを送ってくださる方がいる。

暑さを忘れのんびりとしている頃にいただくズシリと重く 厳重に包装されているにもかかわらずその存在を示す匂いのプレゼントは 実は一年の終わりに近づいているというショックをその都度与えてくれる。

父はべったら漬けが好きで 長野生まれの母からは 甘いお漬物なんてフン とちょっとばかにされていた。

しかし人形町老舗の品は今までの偏見を吹き飛ばす本物だった。

元気なうちに気づいていれば と分厚く切った一切れで仏様のご相伴をしていると たまたま聞いていた圓生師匠の 帯久 の枕で ’江戸の市は10月19日 人形町のべったら市 に始まります、、’とあり その偶然に驚いた次第です。

いろいろ見聞しました。

2017.10.5

開店前の行列に並んで入店したが  発酵の大学 初日 校長先生のお講義用の30席ほどの椅子はすでにほぼ満員、一番後ろに残っていた一つの椅子にバッグを置いて 全体を眺めると なんと 一番前の真ん中が ポツンと空いていた。

デパートの催し物なのに 一時間、なんとかホールでの講演と同じ質のもので たまたま近くであった火事騒ぎでサイレンの音が続いていたのに 大勢の立ち見の方たちもざわめきもせず授業を受けた。

目の前10センチくらいの場所のテーブル上の、 下に写真を置くとそのままボードに映写される電気スタンドのようなものを使用。 項目などの紹介は原稿用紙を裏返しにしたものに なんとも味わいのある文字がフェルトペンで書かれている。総題など用紙が足らなかったらしく裏に同じその愛嬌のある文字で日程表が書かれていたのが透けて見えて笑ってしまった。

小さいテーブルに資料が溢れ、写真が落ちれば前のおじさんが拾ってあげ、 私が本をどけて差し上げたら下から探す写真が出てきたときには ’さすが悳子先生大したものです’ と言われてしまった。

父が昔 市の文化講演会にお招きしたとき  ’自分も小泉武夫先生も小さいときに母を亡くし、、、’ と なかなか上手な演者紹介をしたのだが 食べたことがなかったので ’みなさん知っていますか?あのエビのかまぼこを作ったのは小泉先生なのです’ と言ってしまい 後々 ’お父さんあのときカニとエビを間違えましたね’ と言われたものだった。

時間があるので ワンコが生まれ代わり昔の飼い主の元に戻る という映画を 何種類もの可愛いワンコを見るだけで満足。

さて 何十年ぶりかでプロの落語家の独演会に

最初の演目が全く受けなかったのに気がついたらしい。

 

続く大物 小物 ともに登場人物が同じしゃべりかた

間をあけすぎて緊張が持たない

これは 師匠と弟子の関係を考えさせるものだった。

江戸を舞台の落語の小気味良さがない。

おかみさんが日本髪を結っているという自覚がない手の動き

きせるでタバコを吸ってみたことがあるのか と聞きたい

と アーア というものだったが

帰り見上げた空に雲の合間に澄んだ十五夜お月さんがあり 本日全てよし と相成りました。

エニグマ

2017.9.30

新日本フィルの演奏会

イギリスの3人の作曲家の作品を

昔デュプレを主人公にした映画を見てから彼女のCDをずいぶん聞いていたが 今日久しぶりにエルガーのチェロ協奏曲を聞いた。

チェリストのアンコールは鳥の歌 だった。

以前アンコールで聞いて印象深かったエルガーのエニグマをもう一度聞きたいと思っていたら 今日の全体のアンコールが それだったのでとても嬉しかった。

最後の曲が大盛り上がりするものだったので 一旦落ち着いて 良い気持ちになって帰路につく という役割の選択なのかもしれない。

音楽会に先立つ例の予習の会で イギリスの音楽についてお勉強 あちらの知り合いが懐かしくなってこの音楽会の様子をみんなにメールしたところ

学習院国劇部70周年記念公演

2017.9.16

学習院創立100周年記念会館で 国劇部創立70周年記念公演。

平成19年浅草公会堂での60周年記念公演には富十郎丈が元気にいらしてくださった。

平成22年 私が 仲居の扮装で府中の森芸術劇場の舞台から手拭いを巻いたのはその頃府中市の市長をしていらした野口氏とだった。

当時 大学の学長室に”桜”という作品をおいていただいていたので あらかじめ ”私は市長さん演じるお大尽と一緒に出る3人の仲居の真ん中です 2分ぐらいの出演時間なのでお見逃しなきようにお願いいたします。”  と学長さんにお知らせしておいた、と野口さんにパーティの時お話ししたら ”エッ!あなたそんなことをしたの! すごいなー! と驚かれてしまったことが思い出される。

50周年は大先輩が健在でなんと国立劇場で 助六 を上演した。

助六、髭の意休、揚巻 主役の三人はあちらに逝ってしまわれている。

私は偶然の巡り合わせで揚巻と意休が二人でいる舞台になぜか一人で出て行く場面ができ良い記念の写真が残っている。

時代は変わり今回はどうなることかと心配だったが 続くものには必ず困った時に救世主が現れるもので 歌舞伎座に直に関係している人たちが有力な存在になっていて すっかりお膳立てをして下さった。

ただいるだけの頼りない先輩として本当に感謝している。

会場は満員 松竹さんが作ってくださった学習院の門や懐かしい建物の書割の前で 松竹制作部の新作 ”寿 目白の賑わい” などを自分の学校のホールで公演ができる幸せにみんなが嬉しく酔った一日でした。

化粧殺生石

2017.9.9

来年五代目吉田玉助を襲名される現 吉田幸助氏を知っている方とご一緒する文楽公演は おかげさまで満員続きにもかかわらずいつもとても良いお席をいただける。

今回夜の部 玉藻前 フィナーレの化粧殺生石 は桐竹勘十郎師匠の独り舞台 七変化の舞踊だった。

立役女役、主役の狐 と全て早替わりで細かく踊り分ける。この場面を演じるのには今が旬 という感じ

雷様が背負っている五つの太鼓など三人遣いで顔の前にあるのだから邪魔でしょうがない筈なのにどう動いてもかすりもしない よほどの訓練鍛錬を経ている結果に相違ない。

プログラムにこれが最後 とあるので ”あの時の舞台は素晴らしかった” といつまでも言えるものを今日は拝見したのだと思う。

勘十郎師匠とは以前小グループの講演会のあとの食事でお隣に座らせていただいたことがある。

”どのお役が一番お好きですか?”と伺ったら ”そういう質問には答えてはいけないことになっています。”とおっしゃったが ”人のために嘘をついてその人のために死ねる役でしょうか、、”と続けられたので ”それでは 玉手 ですね。” と申し上げたら ”ああそれが解っていらっしゃれば十分です。” と言ってくださった。

そして いつも自分で床本を書く と見せてくださったその プロ の文字に愕然とした。

この時ほど 自分が 果てしない書の道をトボトボと歩いていてよかったと思ったことはない。

もし これが良いのだ というような習い方をしていたらその場にはとてもいたたまれなかったことだろう。

 

 

寄席育ち

2017.7.27

たまたまユーチューブで圓生さんの 寄席育ち を聞く。

落語ではなく どうして噺家になられたか という内容のお話で 協会の顧問になられた後で録音されたものらしい。

噺家になるために生を受けたような生い立ちや 勉強の仕方 活躍ぶりを聞いていると 父が ”この人は昔はまずかったのだがなあ、、、” とよく言っていたのが不思議で 後年の素晴らしい出来の高座しか見ていない私は 本当にまずいと言われる時代があったのかしら と疑ってしまった。

師匠の話を続けて聴いていると ”戦後満州から引き上げてきて後 急に上手になった と皆に言われました。自分自身は何も変わっていないと思っていましたが 後になって考えてみて その理由があるとすれば、、、” と

確かに 上手でありながらへただった、人生上の経験が内容のある上手さを呼び込んでくれたのだ ということがわかった。

画面を見ると再生回数が多くないが 誠に内容のある 本物の方のお話を伺えた と偶然の出会いに感謝して 皆様にこの 寄席育ち をお勧めする次第です。

幻想交響曲

2017.7.22

誠次さんが好きな曲だったので1972年新宿厚生年金ホールにゲンナジロジェストベンスキー指揮の幻想交響曲を聞きに行った。

それからいろいろ聞いてきたが 今日の新日本フィル 上岡氏指揮のその曲はずいぶん違った感じがした。

いつものように演奏会に先立つ事前攻略レクチャーで興味ある説明を聞いた後だったからかもしれないが 第5楽章は音がどこかに引き込まれるような終わり方をしたり バイオリンの弾き方に 日本の妖怪 唐傘お化けがタップを踏んでいるような光景を思ったりした。

大熱演だった。

サマーコンサート として特別協賛があったらしく いつもよりたくさんの観客からの大きな拍手が続く中で演奏されたアンコール曲がリストのハンガリー狂詩曲第2番

連れと来ている人たちが ’よかった よかった 素晴らしかった’と言っている声を聞きながら会場を後にした。

時は流れ 種は実になる

2017.7.6

麻布のアメリカンクラブで書のクラスを担当していたことがある。

熱心に通っていたアメリカ人の女性が家族と一緒に数日間急に来日した。

20年ぶりに会うと 100円持って麻布十番の鯛焼き屋さんに行くのが好きだったというお嬢さんは勤めを始めているし息子さんはこれから弁護士になるところでもちろん背も親より大きくなっている。

太田の家に遊びに来た時我が家のお墓に連れて行って 大きな自動車会社の東洋支社長をしていた旦那さんに私の手には負えない強い草を抜いてもらったら彼の手から血が出たことが忘れられなかったが彼らにとってもそれは面白い思い出になっていたらしい。

今日は自分が慣れ親しんでいた外国を再び訪れる機会を目一杯楽しんでいるのがよくわかって一緒にいた私も嬉しかった。

一つの文字に対し カタカナ ひらがな 楷 行 草を全部一度に習うのは大変だったが 言葉の意味 それに関する雑学的なことなども知ることができて楽しく有意義なクラスだったと言われた。

彼らは本社のあるミシガン に住んでいるので ”親類のような家族が住んでいたウィスコンシン州の小さな町オークレアに何度か行って そこからミシガンに行ったことがある” と私が言うと ”昨日仕事で頼んだ正式通訳はオークレアの大学に留学していたと言っていた。”とその偶然にびっくりしていた。

”では日本の上智大学の人ね。” と私が言うと ”そう そう言っていた。”と

1964年夏私の家にAFSの留学生として2ヶ月滞在していたクリスティの父親はウィスコンシン州立大学オークレア校の学長に大変若くしてなり学校を発展させた人だった。

子供が日本にくると決まった時点では彼らにとって日本はトルコと同じくらい身近でない外国だったらしい。

クリスティは毎日細かい字で手紙を書き留守宅では それによって日本のいろいろな場所 人々その他を知ることになった。

私の父母が せっかく日本に来たのだから日本を知らせる為に彼女の時間を使う、と英語での社交から極力彼女を遠ざけ広島・岡山 京都、法隆寺の夏季講座 その他を私と二人で回らせた。

1966年に私がオークレアの家に3週間いた時には人が集まるいろいろなところで  クリスティが撮った日本のスライドを見せながら二人で日本についてしゃべったり 歌を歌ったりした。

その話を聞いた人が今度はこの集まりで話をしてほしい と頼んでくることも多く女の子二人はなかなか忙しい日々を送ることになった。

さて 感覚的に日本が近くなった為姉妹校を日本から ということになったらしく 数年の間に上智 関西大 と提携を結んだ。

というような懐かしいことを今日の話題からパーっと思い出し きっかけがあれば無から生じるものがあることを実感した。

何の見返りも期待せず あるがままの姿勢で人に相対してきた呑気な両親の撒いた種が誰も知らないところで実になっている、と感謝している。

 

 

 

 

太田市功労者及び徳行者表彰式

2017.7.5

7月4日

昨年文化の日 太田市から文化功労賞をいただいた。かって父も賞が設定されてから4人目位でいただいていた。

今回 題のような会の案内をいただき 様子がわからないまま出席したところ 長年地域の為につくしてきた方 寄付団体などに昨年の文化功労者数人を加え 出来たばかりの市民会館に市の関係者を別にしてして90人ほどが集まった。

表彰が済み 市長さんのスピーチの時 ”この市民会館に私が選んでかけた絵画の作者が東京からいらしている” とおっしゃった。

フーム そうなのか と思っていたら 今度は急に私の方を示されて

”そして あちらの小澤さんは、、、” と いろいろ話し出されたのは良いが 何か終わりの方で ”豪傑、、な 女性、、” とおかしな組み合わせの言葉になってしまわれ 大変真面目に進行されてきている会なので 私としては笑い声を立てるわけにもいかず、 ましてや 大声で言葉を返すわけにもいかず(危うくそれはとどまった) ”いえ いえ” と手を振るくらいで我慢をした。

まあちょっとした余興になったかも。