蘭の会書作展

2018.11.13

今日からです

 

 

小澤蘭雪 蘭の会書作展

2018.11.6

来週の火曜日、11月13日 からです

皆様のお越しをお待ちしております

いつもの通り、銀座鳩居堂さん4階 です

 

 

小林旭さんとブラームス弦楽6重奏曲第1番

2018.11.2

11月1日

今歌っていられるのは私の亡くなった連れ合いのおかげ と生前から30年以上ずっと盆暮れご挨拶いただいている小林旭さんへ感謝を込めてコンサートに。

私にとっては 小林旭芸能生活40周年記念 全日空ホテルでのステージにお呼ばれしてご親類の方達からも感謝の気持ちを伝えていただいて以来。

荒川区民会館のホールは同年代の人々で満席、2時間を休むことなくおしゃべりと歌でダレる所もなくあの声で観客を引っ張っていく。

一緒に行った友人達も声量、声の高さを維持していることに驚き 思えばオペラ歌手の体型だ とふくよかさを納得。

一芸に秀で、変わらぬファンを持つのは いろいろなことがあったであろう今までのことを決して愚痴らず 人の悪口を言わず 自分の立ち位置がぶれない姿勢にあるのではないかと思う。

奥様が素晴らしい方でいらっしゃる

夜 もう一つの音楽会でブラームスの弦楽6重奏曲第1番を

一番好きな曲の一つなのだが ずーっと聞いていた盤が 各家のカレー 母の味 と同じで 自分にとってはかけがえのないものになってしまっている。

チェロの代わりにコントラバスだったせいなのかもしれないが  ”私の好きな人はあなたじゃない!” といった勝手な思いのまま家に帰ってすぐ自分のCDで聞き直してしまった。

熱演だったのにごめんなさい。

お不動様と般若心経

2018.10.28

10月28日

27日のお昼、夕方6時 そして今朝5時半 と善光寺様にお参りを。

母の実家は 善光寺様から 歩いて15分くらい、三輪相ノ木 という善光寺様への人波で常にあふれていた街道で 叶屋 という菓子店だった。

父の母(父が小学生の時に亡くなり 私はお茶のお点前をしている若い美人さんの写真を見て育ったのでおばあちゃま と言いずらい)もそこの出なので 小さい時から長野は私にとって 身近な場所。

さて 何十年もの間毎朝5時前後に起きて善光寺様に通っているいとこに今朝は同行。

数年前NHKの新日本紀行にいとこの朝参りがゆっくり取り上げられたことがある。常に自然体のいとこが番組担当の方に気に入っていただいていたというのがよくわかるなかなか良い内容だった。

境内あちこちお参りして歩きながら6時28分にお上人様がお出ましになる玄関前に場所取りのバッグを置いて また 常連のみなさんと挨拶を交わしながら境内巡りを。

お玄関に一番近い場所はいとこが という長い年月かけての実績への暗黙の了解があるようだ。

宿坊の方が案内してきた旅行者の方たちも30人目くらいの場所に案内されている。

集まるのは慣れている人たちなので直前までピーチクパーチクと賑やかだがさすがにお出まし直前にピタリと照準が合い体制が整う。

石畳の前に膝をつき 頭を垂れていると 御数珠がしっかりと置かれたと同時にお上人様の体の向きが変わったと思ったらお袈裟の中に頭が入ってしまった。

焚き込められたお香の香りが素晴らしく一瞬別世界に誘われた。

その後 数カ所のお堂を巡りながらお経をあげていく和尚様たちと一緒の堂内に座ってお経を唱えるいとこの後を追ってありがたく忙しい時間を過ごした。

28日はお不動様の日ということで その堂内に響く般若心経を聞かせていただき鐘の音の余韻を最後まで聞いていたら 気づいた時には私一人になっていて もう違う場所に移って違うお経を唱えているいとこを探し あわてて追いつかなければならなかった。

やれやれ

ということで

お不動様と般若心経にあふれた10月後半 でした。

 

 

こちらは我が家のお不動様です

 

お不動様と般若心経 その二 仁和寺

2018.10.15

10月15日

これを最後にこの世ではもう会うことのできない別れという場面が平家物語にはたくさん出てくるが

平経正が琵琶 青山 を法親王に返しに来る場面で有名な仁和寺。

数年前湖水地方からの団体知人 と一緒に訪れて以来。

この度は372年ぶり 初めての金堂背面壁画公開に

陽の当たらない場所だったからというが 今描かれたばかりのような色鮮やかな五大明王のお姿

ここでも中央のお不動様に親しくご挨拶を。

外に出ると遠くから般若心経の合唱が聞こえてきた。

良い時に巡り合わせた と喜ぶ

先ほど説明の和尚様がもし間に合うようなら経蔵を見るように と言ってくださったので 中に入ってみる。

薬問屋の絵に見るような引き出し それぞれに一字の漢字、中には全て違う一千以上の経文が入っているとのこと

ゆっくり中を巡って戸の外に出ると 先ほどの心経合唱隊の和尚さんたちが階段の下に並び始めていた。慌てて建物の隅に移動するとそこの下にも列の端に立つ和尚さん。

お経をあげていただく立場にない私は焦って隅の奥に。

でも見物に集まって来る観光客からは見えてしまうし端の和尚さんの目の先であることには変わらない。

意を決して下に滑り降りた。

やれやれ

ということで お不動様と般若心経の一日でした。

 

経蔵の前で般若心経を唱える和尚さん達

 

 

経蔵の内部

お不動様と般若心経 その一 大覚寺

2018.10.15

10月15日

60年に一度の公開

平成30年厳修 嵯峨天皇宸翰 勅封般若心経1200年 戊戌開封法会 に大覚寺を訪れる。

般若心経 最後の一節をお寺について説明してくださる和尚さんと一緒に唱えてから進んだ心経殿、 中では二人の和尚さんが心経を唱えながら陳列ケースのガードを勤めていた。

幸い4人の入室だったのでゆったりとした気持ちで拝観できたが 部屋を出るとき 一方通行で戻れないことに気づき、’ごめんなさいもう一度’ と ちょっととまどった和尚さんがお経を続けてくださる中一人でもう一度見せていただいた。

これぞ初期平安文化の宝物 としみじみと体の中に染み透るありがたいものだった。

宝物館の仏像、肖像画も懐かしいものばかりだったが 復元模写の紺綾金字勅封般若心経 に感銘した。

昨年4月から製作を始めたとあるが経文の模写を書家でなく 源氏物語絵巻復元を手がけた (有)六法美術の富澤千砂子氏がされた とある。

自我を出さないためという考えに賛同。

おだやかで とても素晴らしいものだった。

五大明王の内 お不動様は私の守り神なので親しくお参りをする。

30年位前に父母と訪れた時 お寺自体がもっと広大な敷地に建っている印象があったので 大沢池はこんなに小さかったのか と感じる自分の変化に驚く。

写経の筆ペンが大変書き易く 普段の三分の二くらいの時間で書けてしまった。

御霊殿の後水尾天皇像に 昔團十郎丈が自作自演した修学院物語に感激した気持ちのままに 親しみを覚え ’いろいろ大変でいらっしゃいましたね’ などと語りかけてしまった。」

 

 

 

幼い門主のために描かれたという障子の腰板

千賀の浦部屋

2018.10.10

元舛田山関の奥さんに会ってロシアに行っていた話をしたら

”なら先生うちの部屋の騒動知らないのでしょう?”と言われた。

このところテレビの報道番組を賑わしていた 貴乃花の部屋の人たちが千賀の浦部屋へ という話になるたび私が書いた看板が画面にアップで出ていたとのこと。

橋場に立派な部屋を立てて独立 御弟子さんと仲良く家庭的な毎日を送っていた元舛田山、元千賀の浦親方 は中曽根さんに共鳴 拓大へ 市役所か県庁に就職も決まっていたのに 元栃錦にスカウトされて力士になった という頭脳も人格も優れた人物。

結婚を機に新しいマンションに入居したところで 知り合いになった。

私の個展に推薦文を寄せてくださったのは良いが ”それにしても 奥さん(私のこと)の食欲には驚かされます。” と本当のことを書いてしまい 私は 後から 知り合いに 御相撲さんによく食べると感心されるとは一体なんだ! と呆れられてしまった ことなどが懐かしく思い出される。

ということで もうニュースの旬は過ぎてしまったかもしれないが もしまたテレビに木に書いた 千賀の浦部屋 という看板が映ったら  それは 私の字  です。

ラジオモスクワ

2018.10.3

モスクワの全部のラジオ局が入っている というビルの中にイリナさんをマズリク先生と訪ねる。

ソ連邦時代から番組を持って多くの有名人をゲストに迎えて来たというベテラン。

日本への関心が高い今ゲストを紹介して  とたのまれていらしたらしい。

 

1時から本番  15分くらい待つ間もマズリク先生はいろいろなお話を聞かせてくださり、私は学生時代に戻ったようにひたすらノートをとる。本番で何を話すか テーマは何かとの話をする暇もない。

本当はロビーで花11点を飾っていただくはずだったのに事務所移転で

中止となった。

申し訳なかった と言われたのでマズリク先生に差し上げようと持って行った  花  の作品を こんな感じでした とお見せしたら プレゼントと思われ  パソコンに立てかけ、それを話題に話が始まってしまった。

余り普段は聞かれないような根本的な質問が多く さて どう答えよう

と思うことが多かったが1時間もあると あれもこれもと 話は広がり 今迄いろいろな国の人たちにいろいろな切り口で書の説明を平安時代の貴族文化を土台にしてして来たことが役に立ったと思った。

普段褒められることのない私の声を 質問に答える様子、 内容にぴったりな明るい声と態度でとてもやり易かった、良かった、とおっしゃっていただいた。

来週火曜夜7時から一時間のプライムタイム  だそうです。

 

 

 

 

 

ラジオオルフェウス

 

10月3日

2018.10.3

昨夜モスクワのナショナルホテルに戻ると 5月に知り合いになった受付のお嬢さんが今回30日迄滞在していた同じ部屋を用意して下さっていたことが解った。

大荷物と一緒に部屋に入った時 安心して疲れが半減する感じだった。

こうして外にいても自分を取り戻せる場所が出来てくるのだと思った。

 

今日はモスクワ大学のマズリク先生がオルフェウス放送局にお連れ下さる。

言葉だけで書を知らない司会者を通じてその先の聞いている方に理解してもらう というのは私にとって未知の世界でとても興味がある。

伝える ということは誠に難しい世界 と実感して来た。

自分が大事に心にしまっていた想いや考えを言葉にした途端  音と一緒に空中に消えてしまう虚しさを知り、言葉を選ぶ際のボキャブラリーの無さが一番の問題とは解っているが、こちらの遠慮 、恥じらいも要因かと、、、

コンプレックスなのかも知れない。

 

どんなことを紹介出来たかまたご報告しますね。

 

今テレビでインタビューをしている。

相手をイライラさせて自分のペースに引き込もうとしている若い女性司会者が言葉を相手に重ねたり 急に柔らかい口調にしたりしている。

相手の90歳過ぎた国の指導者のアップ映像を見ると  口元の柔らかい笑みは消えないが目の光がその都度変化しているのがわかる。

相手の目を見つめ 反応していたら 時間内にニュースになるような話は聞き出せない職業なのだと思う。

 

外は寒そう

 

今の空

車窓から

2018.10.1

ジル記念会館での多勢での二クラスの後急いで駅へ
モスクワからニジニノブゴロドへの新幹線のようなもの  は従来の軌道を使っているとのことで 5時間経った今でも身体の芯に振動が残っている。
ニジニ出身の上院議員が是非日本の技術で新幹線を と運動していたのに  日本側のいろいろな会社で一緒にという統制が取れずドイツが担当したとのこと。
2日続けて4クラス 騒ぎっぱなしだったので電車のなかでは睡魔との戦いだった。 が
ロシアを汽車で移動いていると思うとどうにか我慢をして素晴らしい風景機を楽しむことにした。
木々の緑が上に白い絵の具をかさねたようで新鮮な 初々しい風景だった。
黄や少し赤かなっている木も その後ろに見える華奢な家を守るようで 目を離すことができなかった。
自分がロシアにいてこの光景を見ていることが信じられない 惜しいような時間を過ごし、無読んだ錦繍 という本の題名を思い出した。

モスクワの駅のホーム

モスクワ大学

2018.9.28

モスクワ大学日本語科にて

2018.9.28

5月末 様子を見にモスクワ大学日本語科を訪ねたとき、
アジア各国からの品の展示室がワークショップに適している と思った。
校内で見かける先生と生徒の様子が、私達は学ぶためにここにいるのだ、
という学校本来の姿をあらわしているようで
もし ワークショップが実現したら 少数精鋭で
清少納言、藤原行成、和様の線をしっかり学んでもらおうと考えた。
最近になって 大学での講習会が本決まりになり、
当日まで 集まる人数、対象になる人の様子は不明だった。
前の夜からひどい雨だったがホテルを出る時は傘無しでも良い状態になり、
歩いて数分の校内に入った。
もう一つのグループがクラス終了を待ってくる というので
時間の惜しいわたしは書を見て
自分の世界を楽しめる様子を紹介した。

9月28日

2018.9.28

ロシアでの活動が今日から始まる。
朝からの雨が少し弱くなって来た。
ホテルから歩いていけるモスクワ大学の日本文学科が会場だが
行ってみないと規模 やり方などは分からない。
折角なので一般的な書の説明より行成の文字を
しっかりと見て書いてもらいたいと考えている。
日本文学研究では程度の高い先生方が揃っていらっしゃるので
白氏詩巻の内容などはお任せしよう。
五月に伺った時 校内で見かける 先生や生徒さん達から何かを
学ぶ意識を強く感じ新鮮な気持ちになった。
では行って来ます。
写真はホテルの部屋からの今の景色です。

四百回忌と二百回忌

2018.6.18

 

 

2016年春 モスクワの日本大使公邸で夕食をいただいた時「2018年は日本におけるロシア年 ロシアにおける日本年です」と大使にお聞きしてから2018年がある種忘れられない年になっていた。

我が家の過去帳の中で一番古く記されている 梅岳玄竹居士が元和四年(1618)二月没 ということに気付き 他の項を見ると

観阿妙隻信女 文化十五年(1818)五月没とあるのがわかった。

以前、八ツ橋のお店の遠い年忌に 黒白でなく緑色の帯の熨斗袋に追福と書いて参加した という知人の話しを聞いていたので、

追福 という気持ちの良い言葉を知りながらこの機会を逃してはいけないと考えた。

しかし なんとも呑気で物好きなことにも思えて お花と足をお任せできる方と三人で和尚様に法要をお願いした。

本堂でのお勤めの間、四百年も昔の人を身近に感じられ 梅雨の晴れ間の庭に出ると何かとてもサッパリと胸の中が広くなったように思えた。

写真は二人の卒塔婆を手にする私です

日の目を見た作品

2018.6.14

中一の時の作品

 

嵯峨天皇 李嶠詩 の臨書

 

小学2年生から高校3年生まで柳田泰雲先生主催 全日本学生書道コンクールで毎年作品を皇太子殿下台覧にしていただいていた。

中一の時の作品と賞状を父が欄間に飾っておいてくれた。

昭和33年のもので茶色になっているのだが 38年間続いているクラスの小規模な展示会に一緒に並べていただくことにした。

目に留めた方が「お上手ね。 お小さい時からやっていらしたのね。」とおっしゃってくださった。

子供の成長のみを人生の楽しみにしていたように思える父母は小さいものでも処理してしまうことなく保存しておいてくれた。

父もそのクラスの方達に良くしていただいていたが、出品者の方が「大先生がこの場にいらしたら、さぞお喜びになられたでしょうね」と何度もおっしゃってくださった。