死の島

2017.11.14

11月11日

今日の新日本フィルコンサートは 死 が主題。

いつか 何かの美術案内本で見て印象に残っていたベックリンが描いた 死の島 を題材に二人の作曲家が作った曲を聞く。

ラフマニノフは 白黒印刷の絵を見て作曲、後からカラーの現物を見て これを見ていたら違った曲になっていただろう と言ったとか。

予習講座でいろいろ興味深い事を教えていただく。

この白黒 という言葉で曲を聞いていると 正面のパイプオルガンが 死の島 の絵に重なり船がオルガンの中央部分に入って行くような感じがした。

(グルジア)ジョージア出身の 予習講師の先生が 美しい美人 そして ひょっとして 狂奏曲 になるかもしれない と表現された若いピアニストの演奏はたくさんの男性の客を集めほぼ満員。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番

自分の世界を展開する音は つやつやとした珠を転がすようだった。

狂奏曲 にも競争曲にもならず 指揮者とソリストが蜜にコンタクトをとり オーケストラが彼女の気持ちを吸い上げて広げているように思えた。

メロディーの息が長いのがロシア音楽の特徴 と教えていただいたが

詩や文章の形容詞がとても多く ロシア人のスピーチはベテランの通訳でないと 訳が解らなくなってしまうことがある と聞いた事もある。

おおらかで力強く魅力ある演奏に観客は大喜び のった彼女は ドビッシーの月の光 とシューベルトのセレナーデ(彼女の編曲と紹介)で拍手に答えてくださった。

マレーシアで書のデモンストレーション

2017.11.3

写真の番号にそって後から文章を入れる予定です

10月26日

1 紹介パンフレット

 

2 荷物整理

 

10月27日 前半

3 UPSI大学 会場入口

 

4 司会のお嬢さん達

 

5 藤原行成の「花」を書く

 

10月27日 後半

千野境子さんによる Lecture on ‘ASEAN and Japan’ at Petronas University

6,7 雪月花のバナーを使っていただく

 

8 記念品をいただいて

 

9 記念撮影

 

10 図書館の偉容

 

11 F1の車

 

10月27日 夜 イポー泊り

12 野菜

 

13 元気の良い魚

 

10月28日 クアラカンサー

14 モスク

 

15 行列

 

10月30日 前半 UPM大学にて

16 人混み

 

17 先生方も書きたい

 

18 全員で

 

10月30日 後半 日本大使公邸にて

19 会場入口

 

20 会場の様子

 

21 心

 

22 熱

 

23 揮毫風景

 

24 屏風に書いた心

 

25 今回の旅で一番の収穫。

公邸で拝見した宮川大使御母堂の書

 

 

べったら

2017.10.20

10月19日

毎年べったら漬けを送ってくださる方がいる。

暑さを忘れのんびりとしている頃にいただくズシリと重く 厳重に包装されているにもかかわらずその存在を示す匂いのプレゼントは 実は一年の終わりに近づいているというショックをその都度与えてくれる。

父はべったら漬けが好きで 長野生まれの母からは 甘いお漬物なんてフン とちょっとばかにされていた。

しかし人形町老舗の品は今までの偏見を吹き飛ばす本物だった。

元気なうちに気づいていれば と分厚く切った一切れで仏様のご相伴をしていると たまたま聞いていた圓生師匠の 帯久 の枕で ’江戸の市は10月19日 人形町のべったら市 に始まります、、’とあり その偶然に驚いた次第です。

いろいろ見聞しました。

2017.10.5

開店前の行列に並んで入店したが  発酵の大学 初日 校長先生のお講義用の30席ほどの椅子はすでにほぼ満員、一番後ろに残っていた一つの椅子にバッグを置いて 全体を眺めると なんと 一番前の真ん中が ポツンと空いていた。

デパートの催し物なのに 一時間、なんとかホールでの講演と同じ質のもので たまたま近くであった火事騒ぎでサイレンの音が続いていたのに 大勢の立ち見の方たちもざわめきもせず授業を受けた。

目の前10センチくらいの場所のテーブル上の、 下に写真を置くとそのままボードに映写される電気スタンドのようなものを使用。 項目などの紹介は原稿用紙を裏返しにしたものに なんとも味わいのある文字がフェルトペンで書かれている。総題など用紙が足らなかったらしく裏に同じその愛嬌のある文字で日程表が書かれていたのが透けて見えて笑ってしまった。

小さいテーブルに資料が溢れ、写真が落ちれば前のおじさんが拾ってあげ、 私が本をどけて差し上げたら下から探す写真が出てきたときには ’さすが悳子先生大したものです’ と言われてしまった。

父が昔 市の文化講演会にお招きしたとき  ’自分も小泉武夫先生も小さいときに母を亡くし、、、’ と なかなか上手な演者紹介をしたのだが 食べたことがなかったので ’みなさん知っていますか?あのエビのかまぼこを作ったのは小泉先生なのです’ と言ってしまい 後々 ’お父さんあのときカニとエビを間違えましたね’ と言われたものだった。

時間があるので ワンコが生まれ代わり昔の飼い主の元に戻る という映画を 何種類もの可愛いワンコを見るだけで満足。

さて 何十年ぶりかでプロの落語家の独演会に

最初の演目が全く受けなかったのに気がついたらしい。

 

続く大物 小物 ともに登場人物が同じしゃべりかた

間をあけすぎて緊張が持たない

これは 師匠と弟子の関係を考えさせるものだった。

江戸を舞台の落語の小気味良さがない。

おかみさんが日本髪を結っているという自覚がない手の動き

きせるでタバコを吸ってみたことがあるのか と聞きたい

と アーア というものだったが

帰り見上げた空に雲の合間に澄んだ十五夜お月さんがあり 本日全てよし と相成りました。

エニグマ

2017.9.30

新日本フィルの演奏会

イギリスの3人の作曲家の作品を

昔デュプレを主人公にした映画を見てから彼女のCDをずいぶん聞いていたが 今日久しぶりにエルガーのチェロ協奏曲を聞いた。

チェリストのアンコールは鳥の歌 だった。

以前アンコールで聞いて印象深かったエルガーのエニグマをもう一度聞きたいと思っていたら 今日の全体のアンコールが それだったのでとても嬉しかった。

最後の曲が大盛り上がりするものだったので 一旦落ち着いて 良い気持ちになって帰路につく という役割の選択なのかもしれない。

音楽会に先立つ例の予習の会で イギリスの音楽についてお勉強 あちらの知り合いが懐かしくなってこの音楽会の様子をみんなにメールしたところ

学習院国劇部70周年記念公演

2017.9.16

学習院創立100周年記念会館で 国劇部創立70周年記念公演。

平成19年浅草公会堂での60周年記念公演には富十郎丈が元気にいらしてくださった。

平成22年 私が 仲居の扮装で府中の森芸術劇場の舞台から手拭いを巻いたのはその頃府中市の市長をしていらした野口氏とだった。

当時 大学の学長室に”桜”という作品をおいていただいていたので あらかじめ ”私は市長さん演じるお大尽と一緒に出る3人の仲居の真ん中です 2分ぐらいの出演時間なのでお見逃しなきようにお願いいたします。”  と学長さんにお知らせしておいた、と野口さんにパーティの時お話ししたら ”エッ!あなたそんなことをしたの! すごいなー! と驚かれてしまったことが思い出される。

50周年は大先輩が健在でなんと国立劇場で 助六 を上演した。

助六、髭の意休、揚巻 主役の三人はあちらに逝ってしまわれている。

私は偶然の巡り合わせで揚巻と意休が二人でいる舞台になぜか一人で出て行く場面ができ良い記念の写真が残っている。

時代は変わり今回はどうなることかと心配だったが 続くものには必ず困った時に救世主が現れるもので 歌舞伎座に直に関係している人たちが有力な存在になっていて すっかりお膳立てをして下さった。

ただいるだけの頼りない先輩として本当に感謝している。

会場は満員 松竹さんが作ってくださった学習院の門や懐かしい建物の書割の前で 松竹制作部の新作 ”寿 目白の賑わい” などを自分の学校のホールで公演ができる幸せにみんなが嬉しく酔った一日でした。

化粧殺生石

2017.9.9

来年五代目吉田玉助を襲名される現 吉田幸助氏を知っている方とご一緒する文楽公演は おかげさまで満員続きにもかかわらずいつもとても良いお席をいただける。

今回夜の部 玉藻前 フィナーレの化粧殺生石 は桐竹勘十郎師匠の独り舞台 七変化の舞踊だった。

立役女役、主役の狐 と全て早替わりで細かく踊り分ける。この場面を演じるのには今が旬 という感じ

雷様が背負っている五つの太鼓など三人遣いで顔の前にあるのだから邪魔でしょうがない筈なのにどう動いてもかすりもしない よほどの訓練鍛錬を経ている結果に相違ない。

プログラムにこれが最後 とあるので ”あの時の舞台は素晴らしかった” といつまでも言えるものを今日は拝見したのだと思う。

勘十郎師匠とは以前小グループの講演会のあとの食事でお隣に座らせていただいたことがある。

”どのお役が一番お好きですか?”と伺ったら ”そういう質問には答えてはいけないことになっています。”とおっしゃったが ”人のために嘘をついてその人のために死ねる役でしょうか、、”と続けられたので ”それでは 玉手 ですね。” と申し上げたら ”ああそれが解っていらっしゃれば十分です。” と言ってくださった。

そして いつも自分で床本を書く と見せてくださったその プロ の文字に愕然とした。

この時ほど 自分が 果てしない書の道をトボトボと歩いていてよかったと思ったことはない。

もし これが良いのだ というような習い方をしていたらその場にはとてもいたたまれなかったことだろう。

 

 

寄席育ち

2017.7.27

たまたまユーチューブで圓生さんの 寄席育ち を聞く。

落語ではなく どうして噺家になられたか という内容のお話で 協会の顧問になられた後で録音されたものらしい。

噺家になるために生を受けたような生い立ちや 勉強の仕方 活躍ぶりを聞いていると 父が ”この人は昔はまずかったのだがなあ、、、” とよく言っていたのが不思議で 後年の素晴らしい出来の高座しか見ていない私は 本当にまずいと言われる時代があったのかしら と疑ってしまった。

師匠の話を続けて聴いていると ”戦後満州から引き上げてきて後 急に上手になった と皆に言われました。自分自身は何も変わっていないと思っていましたが 後になって考えてみて その理由があるとすれば、、、” と

確かに 上手でありながらへただった、人生上の経験が内容のある上手さを呼び込んでくれたのだ ということがわかった。

画面を見ると再生回数が多くないが 誠に内容のある 本物の方のお話を伺えた と偶然の出会いに感謝して 皆様にこの 寄席育ち をお勧めする次第です。

幻想交響曲

2017.7.22

誠次さんが好きな曲だったので1972年新宿厚生年金ホールにゲンナジロジェストベンスキー指揮の幻想交響曲を聞きに行った。

それからいろいろ聞いてきたが 今日の新日本フィル 上岡氏指揮のその曲はずいぶん違った感じがした。

いつものように演奏会に先立つ事前攻略レクチャーで興味ある説明を聞いた後だったからかもしれないが 第5楽章は音がどこかに引き込まれるような終わり方をしたり バイオリンの弾き方に 日本の妖怪 唐傘お化けがタップを踏んでいるような光景を思ったりした。

大熱演だった。

サマーコンサート として特別協賛があったらしく いつもよりたくさんの観客からの大きな拍手が続く中で演奏されたアンコール曲がリストのハンガリー狂詩曲第2番

連れと来ている人たちが ’よかった よかった 素晴らしかった’と言っている声を聞きながら会場を後にした。

太田市功労者及び徳行者表彰式

2017.7.5

7月4日

昨年文化の日 太田市から文化功労賞をいただいた。かって父も賞が設定されてから4人目位でいただいていた。

今回 題のような会の案内をいただき 様子がわからないまま出席したところ 長年地域の為につくしてきた方 寄付団体などに昨年の文化功労者数人を加え 出来たばかりの市民会館に市の関係者を別にしてして90人ほどが集まった。

表彰が済み 市長さんのスピーチの時 ”この市民会館に私が選んでかけた絵画の作者が東京からいらしている” とおっしゃった。

フーム そうなのか と思っていたら 今度は急に私の方を示されて

”そして あちらの小澤さんは、、、” と いろいろ話し出されたのは良いが 何か終わりの方で ”豪傑、、な 女性、、” とおかしな組み合わせの言葉になってしまわれ 大変真面目に進行されてきている会なので 私としては笑い声を立てるわけにもいかず、 ましてや 大声で言葉を返すわけにもいかず(危うくそれはとどまった) ”いえ いえ” と手を振るくらいで我慢をした。

まあちょっとした余興になったかも。

弘前

2017.6.17

私がおっちょこちょいなことをして することがなくなってしまった弘前に出かけることになった。

着いた日は大雨で バスターミナルでバスを乗り換えながら100円循環バス二種類をはしごした。

最初は市内を一巡 次は新しく開けたと思われる地域をぐるぐると一時間以上も走った。

窓が曇って外がよく見えないと言ってもこう回っていればなんとなく街の様子がわかってくる。

この値段のバスが10時から夕方まで3系統 10分おきに出ているというのはなんとも羨ましいことで、よく 車のない人たちに とお役所が奇特な業者と一緒に一日数本走らせているのを見たり聞いたりするが なんともわびしい風景になっている。

使い古しのバスでも親切な運転手さんの運転で10分ごとに出ていれば ちょっと細かく出て歩く気にもなろうというもの、、。

今朝はよく晴れ 通りかかった文学館 にまず入ってみた。昔懐かしい石坂洋次郎展だったが 中に青森に関係ある文学者の紹介展示があり とても興味深く長い時間館内にいた。

中でも葛西善蔵についての紹介がとても印象的だった。

昔 確か母から 本の内容までは教えられなかったと思うが ’子をつれて’ という小説の存在をきかされていた。題名だけで何か哀れで同情を引くような感じがしていた。

展示を見てみると 啄木もそうかもしれないが これは周囲の人たちは大変だったと思える人物だった。

今の世にもこのようなひとを大事に思って助ける奇特な人間がいるかしら? 一ヶ月も良いへやに泊める旅館はあるかしら? と、  考えようによっては 貧しい人が大多数だったかもしれないが いい加減なことを許す気持ちの余裕が世間にあったのかもしれない。

なんと彼がいた宿の部屋の床の間に森鴎外の書がかけてあるのが写真に写っていた。下の一文字半しか写ってないので意味不明だが名前はしっかり読める。

実は今回弘前に行くことになったのは鴎外の書一点を見せていただくというのが話の始まりだったので その作品の拝見はまたの機会になったが 考えてみれば 勤め先だった弘前にはたくさん彼の作品が残されているのかもしれず 次回また弘前に行く時にはその辺のことも調べてからと 思った次第。

弘前城でボランティアの方に親切に案内していただいたこと 桜の手入れについて大変良いお話を聞かせていただいたことなどは またいつか

 

ラ フォル ジュネ オ ジャポン

2017.5.5

始まった頃数年は行っていたがあまり混むようになって足が遠のいていたこの催しに今回切符をいただいたので行ってみた。

以前のように押すな押すな ではなくなっている。何処かで整理が上手に考えられているのかもしれない。

井上道義氏と新日本フィルが伊福部昭さんという作曲家の作品を取り上げた。

ゴジラを始めとする300本もの映画音楽を作曲した方 とある。

日本組曲から 盆踊、演伶(これでながしと読むらしい)佞武多(ねぶた)という曲は何かロシアの音楽に似ているような感じがした。

次の演奏が素晴らしかった。

マリンバをヤマハと一緒に進歩開発してきたという80歳の女性。

有名な方らしいが初めて目の当たりにして今まで聞いていたマリンバのボヨヨーンという響きとは違う 良い意味での枯れて澄んだ音色に気がついた。

筆を墨と紙と身体の関係を思い この先 を思い これからも自分のことで何か不平を言ったらバチが当たる と考えながら偉大な奏者阿部圭子さんに大きな拍手を送った。

Philippe Conticini氏

2017.4.18

4月17日

20日オープンするGinza Sixの内覧パーティーへ

まずは地下三階の能楽堂へ

入り口にスヌーピーのクリアファイルがたくさんあって ’全部一通りください’ と一気に幸せになる。

松濤から移築したという能舞台。多分見るのは初めて。昭和40年に描かれた舞台の松羽目、 私は入り口ホールに置いてある同じ作者の松のほうに親しみを感じた。

地下2階の食品に行ったら出られなくなってしまった。

試食すると皆欲しくなる。

仕切りの中で作っているのを見ているとそこのシェフと何度も顔が合い 横のカウンターでワッフルにのせたモッツァレラとトマトの一皿と クイニータタン アイスクリーム盛り合わせ を知人といただくことにした。横で6人ぐらいのグループが撮影をしながらテレビで聞いたことのあるようなダミ声や嬌声をあげている。

働く人たちはまだその場に慣れていず開店直後の大変さが思われるが 熱いものは熱く としようとしていることはわかるし二つの異なった料理を同じナイフとフォークで食べさせない気遣いが嬉しい。味もとてもしっかりしている。シェフが目の前でグラスに盛り付ける姿も丁寧で、慣れない店員さんたちにもイライラする様子を見せずゆったり指示を与えている。

賑やかな一群が出て行き私たちだけになった。

もしサインをいただけたら嬉しいのですが と言うと 喜んで フランス語 それとも英語で? といろいろ話し出した。

今まで一生懸命働いてきたこと、日本に昔初めて来た時 他の国と違っている、歴史のわかる国民だ、と感激してからなんども足を運んでいること、世界中に場をひろげてやっていたが ある時なんども一度に手術を受けるような病気になり 家族にも心配をかけ 考えが変わったこと。芸術だと思っているこの仕事を53才になった今自分のことを考え 自分の為にやっていこう と思うようになったこと。そして今度初めて日本に店を出したこと。

などと話が止まらなくなってしまった。

あなたはまだ若い と慰めるつもりで 53才といえば私の息子のような年じゃないの と言ったら そうか! と真面目な顔をするので テーブルを叩いて ’冗談!’ と言ったが もし私が早熟な娘だったら その可能性もあったかも知れない と少し反省した。

落ち着いた頃また美味しかった品を楽しみに訪ねてみよう

 

うなぎ

2017.4.18

4月14日

酷く遅いお昼 とゆっくり食べる時間のない夕食 になりそうだったので これはうなぎだ と思いデパートの地下のお店へ。2時を過ぎているのに 一時間ほどお待ちいただくこといなりますが 最後尾はここです と売り場の間の壁の前に点々と置いてある椅子に案内される。

お腹が空いた 疲れた なんだかんだと独り言を言いながら杖をついた女性が現れた。 これはこれは と買ったばかりのワーズワースの’湖水地方案内’という今まで読んだことのない訳本を読み続けることにした。お腹が空いていることをまだ言っているので余程 ’あちらにすぐいただけるところがありますよ’ と指し示そうと思ったが それをきっかけにされても困るので 黙っていた。

彼女の隣に座った女性とおしゃべりが始まった。整骨か何かの話が止まらない。自分が通っているところより良さそうだと思った隣の彼女がどうにか紹介してほしいとあれやこれや聞いても 混むからとか言って教えようとしない。

そんな意地悪だからいつまでも治らないのよ と言いそうになってしまった。

私の右隣の男性二人は もう何も目標がない とこぼしているし

みんなこれからうなぎを食べようというのに一体何を言っているのよ。

感謝して食べないと身につかないことを幼児期に叩き込むのが健康保険料問題解決の一要素かもしれない。

初めてのクアラルンプール

2017.3.29

3月29日

初めてのマレーシア という題にするには気がひける数十時間クアラルンプール滞在の旅から昨日戻った。

飛行場から市内への左側が夕焼け前方と右に雷と強い雨 パーム椰子 赤い土 沼?、

開発が続く都市 優しくおとなしい多くの人々 美味しいいろいろごちゃごちゃした食べ物 こんなにあるのかという程たくさん のショッピングモール 歩く場所のない道路

この 歩く場所のない道路 というのが驚きで 車道だけで歩道がない道路の脇を歩く 信号がないところを左右を見て渡る という行動は 一種若返りの方法になるのではないか と思うほどだった。一人では無理 頼れるような人や人々を探し一緒に素早く行動する。縄跳びに入るのは他の運動が全くダメだった私にしては得意なことだったが数十年ぶりにそのタイミングを思い出した。

今年中に書のデモンストレーションに再び訪れることになるマレーシア、 良いところなのでみんなで賑やかに行くことになると嬉しいと思っている。

スコール

ランドマークのツィンタワー

ベンガルブレッド

普通のパンが蒸し器に入っているが

蒸しパンのような水っぽさが無くて美味しい