展覧会終了

2016.12.17

多数の皆様においでいただき、慌ただしい一週間を過ごした。

自身としては不完全燃焼だったが次回への戒めとしたい。

 

パーティーで、細く長くお付き合いいただいている評論家の先生と

この十二月でお店を閉じ研究生活に入られる神田清雅堂さんの御主人との対談をお願いした。

地味なお話になると思い、書の世界に本当に興味を持っているかどうかあやしい出席者の方々にどう受け入れられるか不安だった。

「あちらが痛い、誰がどうした、という様ないつでも出来る話に時間をさくのはもったいない。

今夜はこちらの話に注目して欲しい」と私が最初に頼んだのが効を奏し、耳を傾けていただけた。

お二人とも本物は何かを常に考えていらっしゃる方達なので話がぶれず、今働き盛りの方達にも共感いただけたようだ。

いままでの蘭の会のパーティーではゆっくり戴けなかった外国人記者クラブのローストビーフも

今回は抽選会の間にしっかり楽しませていただいた。

次の日からの活力を生む一日だった。

今日から 勁い和 展

2016.12.6

1986年 銀座越後屋ギャラリーでの最初の展覧会から 今回までなんども書展を開いてきているがこの30年間 先へ先へ と希望と嬉しさで自分の思うままに進んでこられたのはなんと幸せだったのかと改めて思った。

世間の書のプロの世界から遠く離れた場所で 好き勝手なやり方を続けている。

書く人 仕立てる人 会期の軌道に乗せる事務 写真 水屋  気分を盛り上げるイベント その他、

キリがないが それぞれの分野に適した方達の存在なしにはことが運ばない。

今までは恵まれすぎる状態できたが 需要が少なくなっている世界でのすぐれた技術の継続 がこれからの大きな課題になってくると思う。

小さい個人の力ではどうにもならないことなので 皆様のお知恵をお借りしたい。

では 良いお天気の初日 これからおめかしして行ってきまーす。

皆様会場でお待ちしております。

お声をお掛けくださいましね。

 

エルガー:エニグマ変奏曲

2016.11.27

11月26日

愛の挨拶しか知らなかったエルガーだが

公演前に行われる事前攻略レクチャーに参加して

興味を持ってエニグマ変奏曲を聞く。

情感豊かな曲で会場は大盛り上がり。

そのままシンガポール生まれの若いハンサムな指揮者が

「皆様に特別にお届けするシベリウスのアンダンテ・フェスティーヴォです。」

と紹介したアンコールの曲に酔って帰路についた。

 

ところで、

鳩居堂さんでの展覧会は12月6日に始まります。

私は今、家の中で会場に持って行く荷物の隙間で生活しています。

 

奈良で書いてきたお皿です

2016.11.23

三寸です

2時間かけて摩っていただいた金がのっています

12月6日〜 鳩居堂4F にて展覧会です。

お待ちしております。

展覧会のお知らせです

2016.11.23

小澤 蘭雪・蘭の会 書作展

平成28年12月6日(火)〜 11日(日)

午前11時 〜 午後7時

銀座鳩居堂4階

 

勁(ケイ、キョウ)は、字義は つよい すこやか かたい するどい

意味は まっすぐ まっすぐで力強い

直線的なものは強いので勁(つよい)と言う

 

勁草 つよきくさ

激しい風が吹いて、初めて強い草が見分けられる。

困難にあって 初めて節操の固いこと、意志の強いことがわかる。

 

勁松彰於歳寒

つよき松の節操は歳寒の時に至りてあらわる。

等と 辞書にありました。

このような思いで、書こうとしましたが

大変難しかったです。

 

皆さまどうぞ、おでましください。

会場でお待ちしております。

 

 

神田須田町の清雅堂さん

2016.11.12

昭和3年に創業された清雅堂さんがお店を閉じ、

旦那様が書の研究生活のみに入られることになった。

私にはハッピーリタイアメントに思え、

今日、清雅堂さんからお招きをいただいた食事会に

嬉しく出席させていただいた。

天下の清雅堂さんからこのような小人数の会にお呼びいただいたことを

娘に書の楽しさを教えた両親としては、喜んでいるに相違ない。

出席者の一人の方が、「旦那様がいつもご自分のことを「手前どもが」とおっしゃっていました。

このような仕事に対するお姿が素晴らしいと常々思っていましたが これからこの「手前ども」がお店で聞けなくなるかと思うと寂しい。」とスピーチされた。

群馬生まれの私は「手前、生国発するところ上州でござんす。上州、上州と言ってもいささか広ろうござんす…」という台詞を思い出し、下を向いて笑いをこらえるのに必死だった。

 

シューベルト ピアノソナタ第21番

2016.11.5

11月4日

伊藤恵 さんのシューベルト

10分の休憩の後の21番

この曲は素晴らしいと思いながらも渦の中に吸い込まれていく感じで息継ぎが出来ず 疲れが溜まっているからか と 内心でもがいていた。もうこれ以上続いたらどうにかなってしまうのではないか と終わる頃には恐れたくらいだった。

シューベルトが大好きで 畏れから若い時演奏するのを控えていらした時期がおありでいらした という演奏者は10数年以前同じ音楽会で聞いた時もとても印象に残るかただった。

その方が 21番演奏後一旦引っ込んでから出ていらっしゃり 最後まで倒れずに弾けるかどうか不安だった と仰った。この曲の後ではどんなアンコール演奏もできません との言葉に会場のみんなは同感の強い拍手を送った。

円成寺

2016.10.30

10月28日

京の明け方の冷え込みが強く もっと寒い奈良の山奥に行く予定の私は テレビを見れば一日雨 とあるし、覚悟を決め近鉄特急に乗る。

先日書き足らなかった分を書くことと焼けたお皿に少し金を載せてみようかということからの奈良行き。

陶芸の先生が二時間もかけて擦っておいてくださったという金の取り扱いの難しさを聞いていたのだが これからその道の専門家になれる訳もなく、字 が本道なので その邪魔にならなければ良いのだから、 と気楽に 面白がってやってしまった。

と言っても

頭の芯がキラキラするのが収まらず 赤い靴を履いたような感じだったが

早く終わったから と 帰りに案内していただいた思いがけない美しい紅葉の円成寺で  運慶の若い時の作とされる大日如来像を そこに置いてある手製の紙の眼鏡のようなものをガラス戸にピッタリつけて拝見しているうちに少しずつ興奮が収まって、その後 暗い本堂に座って 室町時代に描かれたという柱の絵やご本尊様を前にしていると 敬虔あらたかな という言い回しを身を以て納得できる感じがした。

ありがとうございます。

鰰 ハタハタ

2016.8.30

8月17日から19日、秋田に行ったのは次の写真のような字を

書かせていただいたのがきっかけです。

十三代続いているという三浦米太郎商店さんからの依頼で

書きました。

西馬音内盆踊り

2016.8.27

8月17日

台風一過の青空の東京から台風を追いかけるように秋田へ。

どうにかもっていたお天気が湯沢の料亭を出る頃にはひどい土砂降りに。

’晴れ女だから大丈夫’ と気楽に言えないワイパーフル回転状態で羽後町に着くと30分遅らせて盆踊りが始まるところだった。

ふと上を見ると黒い空にまん丸なお月様が

8時には雨が上がります と言って体育館ではなく本来の会場でやると決めた人たちの決断力に感心。

連れて行ってくださった方が抽選に当たった桟敷に用意の敷物 座布団などを魔法のようにバッグから出してくださり快適に見物できた。

篝火の両側を秋田音頭に合わないおっとりした 嫋やかな動きの踊り手が進む。

もう一つの曲も踊りを合わせるのはむずかしい、 そして伴奏に歌を合わせるのも難しい と思われるものだった。

こちらは砂が撒かれている通りの上で踊り手が四分の一位回転する時にたてる ささーっとざざーっとの中間の音がなんとも言えない雰囲気を醸し出していた。

代々受け継ぐという衣装も見物だった。

隣に座った現代舞踊の専門家が 合わない曲で踊っていると踊り手は自分の世界により深く入り込める と教えてくださった。ふーむ。

音(ね)の会

2016.8.12

国劇部からプロになられた市川新蔵丈が摂州合邦辻の合邦を演じるので国立劇場での’音の会’へ

長唄 舌出し三番叟 で始まる。

ペン と最初の音がした時 何かちょっと違う と

国立劇場歌舞伎音楽既成者研修発表会 だからという偏見のようなものが私にあるのか と反省し 目をつぶって ベテランの人たちが演奏しているのだ と想像しながら素直な気持ちで聞き直したが 何か弾まない。

いろいろ考えてみた。

字を書いていて一画 一画ずつ落ち着いてしまって次の動きに続かないのに似ている。

丁寧なのは良いが一つのことにそのつどしっかり納得しないと次に行けない性格に似ている。

だから弾まない 神に捧げる三番叟 にならない。

でも 適当なベテランが上っ面で弾くと流れて 品がなくなるので そこもまた難しいところ。

新蔵丈はさすが。

口跡が良いのでいつか青果ものを拝見したい。

玉手御前はイメージが違う体型と声だが 熱演。もう虫の息なのに瞬間的な激しい動きと台詞で見ているほうが度々驚いたのも

ここ二日間の芝居に対する思い入れのためと感じられた。

 

 

週刊新潮 7月7日号

2016.7.2

週刊新潮7月7日号 136ページの写真に 私の作品の半分くらいが写っています。

羽田クロノゲート

2016.6.7

6月4日

羽田のクロネコヤマトの物流ターミナルを見学

マクベス

2016.6.4

6月3日

そうだ マクベス を見なくては と思い出してシャンテ へ。

私は夏の良い時期のスコットランドしか知らないけれど 古城や海を思い出しただけでも 今回の映画がマクベスの時代の 土地 その他を表現しているのではないかと思えた。

主を自分の城に迎えて殺すのだが 普通に思い描く城ではなく 部落、 野戦テントの集合のようで神を祀る小屋が一番まともな建物 といっても立派な掘建小屋クラス。

暗さ 雨 ぬかるみ  と重い風景のみ。

マクベス夫人が ミッドナイト イン パリ の中で活躍したMarion Cotillard で この女性ならピカソもヘミングウェーもその他誰でも魅了されたのは頷ける と思わせた女優さんだが この映画では 戴冠式の場面も豪華な生地なのは解るが抑えた色調の衣装できらびやかなものはない。

それだけに 手と血の場面も抑えた演技で ’自分の胸の中で乳を飲んでいる子供も平気で殺すでしょう’ というくだりも冷たくなく淡々と述べている。

今までは 焚き付けておいて自分が先に神経的に参ってしまって 旦那のためにならなかった女性といった印象だったが この映画では最初から最後まで良心の呵責におびえ続けるマクベス、 一度も 達成感を得ることなく時を通り過ぎたような描かれ方で 夫人はある意味男性より広い気持ちで出来事を受け入れていた というふうに感じられた。

それにしてもなんとも上手な役者さんだ。

昨日受け取ったグローブ座からの雑誌にこの映画での衣装が8月まで展示されているとの記事が出ている。

今年の夏イギリスに行かないのが残念!

スヌーピー美術館

2016.6.2

知人が切符を取っておいてくださり初めてスヌーピー美術館へ

以前森美術館でのスヌーピー展を楽しんだことがある。

この春の旅の機内では行きも帰りもスヌーピーの同じ映画を楽しんだ。

大学3年の受け持ちでいらした稲村松雄先生がフルブライト留学から帰ってすぐスヌーピーを日本に紹介しようとされたが時期尚早だった と残念がっていらしたことを思い出す。

1966年カリフォルニア ロスガトスの知人の家から私と同い歳の子供が赤ちゃんの時引いて遊んでいたスヌーピーの木製のおもちゃをもらって来た。全く普通のビーグル犬で 漫画とは大違いなのだけれど 今度家に帰ったら商標が付いているのかどうか調べてみよう。

昭和70年代はじめ’ハワイでスヌーピーのぬいぐるみを買ってきてね’ と両親に頼んだら 自分たちが気に入ってしまい私の手には渡らなかった。

作家がまだスヌーピー以前の漫画を描いていた頃の作品が載っている雑誌、 The  Saturday Evening  Post   JULY16,1949 が並べてあったが その表紙の題が

Our Pacific Sub Boss Tells How WE GAVE THE JAPS A LICKING UNDERSEAS だった。

二世の方達の苦労やいかに と思わずにはいられなかった。