新聞の追悼抄に吉国一郎先生の記事を見る。
昔 T学園というお嬢様学校で 塩月弥栄子先生の、 お茶の教室の先生方が講師を務める 着付け教室 のお手伝いをしていたことがある。
有名な先生ばかりを集めた豪華な内容の学校で かわいい 気立ての優しいお嬢さんばかりで 私は年齢が近い方だったので 一緒に 楽しい時を過ごしていた。
このアパートにもよく皆で食事に来てくださり 誠次さんも喜んでいた。
吉国先生が学園のトップでいらして お式の時はいつも御挨拶され 後のパーティで本当に細かい字で奇麗に書かれているご自分のノートをかわいい生徒さん達にお見せになり 歓声が上がるのを楽しんでいらした。
御挨拶の時 マイクにおでこをぶつけられた時は皆で苦しい思いをした。
初めて わたしが銀座で個展をした時 帝国ホテルでのパーティの受付で吉国先生を発見。 思わず”あ! 先生 今日はどうなさいました?”と言ってしまった。”あなたに案内されて ” と仰られ こちらは きゃ! ”いやー すみません どうぞどうぞ ”と ご案内した。
出席 欠席 を伺わないままの案内状を 作ってしまった私がいけない。
誠次さんが 後から私の傍に来て ”あなたは知らないだろうけれど 今日の出席者の中で 吉国先生が一番の大物なんだよ。 何か喋って頂いた方が良いよ。と助言してくれた。
先生は 碁のお友達でいらした 柳田泰雲先生が まだその時も私の先生と思っていらしたようで 内容はちょっとずれてしまったが とても良いスピーチをして下さり ゆっくり時間をかけてその場にいらして下さった。
その後お目にかかった時 ” ’あらどうして’ などと申してすみませんでした。” と申し上げたら ”いやー 楽しかった” とおっしゃって下さった。
”元内閣法制局長官、元プロ野球コミッショナー、NTT顧問など50以上の肩書を抱えて多忙な引退後、、、” という記事を拝見して その時の様子が思い出され やはり ’大物にはゆとりがある’ ことを実感した次第です。
吉国先生ありがとうございました。
平家物語のDVDを作られたハゴロモの社長さんのお宅にスタジオが完成したお祝い。
澤村藤十郎丈に ”18歳の時楽屋にうかがって 私18です と申し上げたら ’ウソでしょう!’ と言われました。”とお話しすると ”それは失礼いたしました” と驚いていらした。
右脳をやられ 後遺症を平家物語の朗読で発声、発音を治されている と伺う。
今夜 社長さんの突然のリクエストに 赦文 を三分の一程暗唱されたが DVDで聞いたものより口跡がよりはっきりされている と感じた。
素晴らしい演者の熱演ばかりが入ったDVDの中でも 大変心に浸みたものが緒川たまきさんとおっしゃる女優さんの 大臣殿被斬 宗盛 だった。
平家を滅ぼした とか バカだチョンだ ついには清盛の子供ではなかったとまでひどいことをいわれている 宗盛 だが 情あふれる純粋さ という面を素のままのご自分で表現していらっしゃるようにみえる。
この章段にこの女優さんを選んだ方のセンスなのだと思う。
江戸東京博物館で宗盛の書が私の胸に飛び込んできたのも 何よりこの純粋さを私が感じたからだった。
思わず緒川さんの傍に行って ”感激しています” と報告してしまった。
皆さま 鳩居堂さんでの ー 平家物語 II − は11月27日から12月2日 です。
これが印刷中の葉書 文字は ”映” です。
戦いを呑み込んだ後の海の面に映る何かの光 と思って書きました。
この辺りに住んでいる私たちの氏神様である牛島神社の今年は大祭
今鳳輦を待っているところ
いつぞやは鳳輦を引く牛ちゃんのストライキで大変だったとか
この暑さでは 今回も予定の時間どおりにいかないのも仕方のないことと思われる
ここに引っ越してきた昭和54年の夏まつりに 8階に住んでいらした 新婚の舛田山関
今の千賀の浦親方夫妻と 慶應の先輩ご夫婦を夕食にお呼びしたことがある
その先生はご自分でも あまり上手とは言えないが バイオリンを弾く方で お気に入りの
当時のことなのでレコードを持参していらした
こちらも ヤマハの良いスピーカーを備えたところだったので さてと 針を乗せたのは良いが
近くの公園で踊りが始まり 墨田音頭や 炭坑節 の前に クラシックはあえなく沈没
その後の夕食は大変盛り上がり楽しい一夜を過ごしたことを思い出す
さてやっと 町内会のスピーカーから 案内が聞こえたので
行ってきまーす
乗り物の中や 家から外に出た時 雑談をするのはあまり得意でなく
黙って周囲の様子を見ているのが好きというと ”ウソでしょう”と言われそうだけれど、、、
さあここで話すことを話さないと 次の機会はない というような時
自分でも驚くくらい次から次へとよく口が動いて 後であきれることがある。
もう少し話が煮詰まらないと 今日福島に何のために行ったのか書けないが
郡山で思いっきりこちらの希望をお願いして気持ちよくなったまま面会首掛けカードを
返さずに帰ってきてしまった。
駅まで乗るなら隣がタクシー会社です と聞き ”何時の電車に乗りたいの”と動き出した途端
運転手さんが車のパンクに気がつきUターン。
いろいろあったが無事郡山から在来線の各駅停車に乗り福島民報社へ
服地を通して日差しが肌に突き刺さる感じの”熱さ”
御挨拶だけと思っていたら お会いした方が大変良い方で話が止まらなくなってしまった。
初めての土地だったが 何とも言えない 言葉にならない 想いで過ごした一日だった。
”時間は元に戻らない、なかったことにはできない” という現実が身にしみる切なさを味わった。
そのうち 何のために福島に行ったのか 嬉しいニュースとして又ブログに書けますように
写真は会社の前の道で
8月一杯は許してね と 怠惰な毎日を過ごしていたが
どうもそれに慣れてしまったらしく9月1日を迎えたのに
気持ちが切り替わらない。困ったものです。
子供のころから親に聞かされてきた純粋な気持ちで相対してきた平家だったのに
今年になってから雑念が入り 失速している。
平家だけでなく このところ ‘今現在の世の中の考え方で 昔のことを判断することは
大きい間違いを生む原因なのだ’ とはっきり言って下さる方はいないかしら と 思うことしきり
さあ人のせいにしないで二年前に もう一度この題材で展覧会をと思った 私の平家に戻らなければ
華やかで 繊細で 落ち着いていて 大きな力量がある。
筆者は御舅さんに持ちたい男性NO1 という感じ
二カ月ぶりにハゴロモさんの 平家サロンin神田 へ
DVDで 首渡 内裏女房 続いて平井真軌氏の語りで 法院問答
その前に 主催者の橘氏が ”平井さんのお師匠さんの仲代達矢氏は
どうしてシェイクスピアを演じて平家を舞台に掛けるないのか?”と尋ねると
”シェイクスピアの方が言葉にのせ易いから と聞いたことがある。”
と答えられた。
解るような気がする。
シェイクスピアの世界を という書展をした時のパーティーで
小田島先生の前で 父が ”次は何か歌舞伎を題材にして” とスピーチした。
その後しばらくして 源氏物語を題材にした会を開いたが
選べる字がシェイクスピアに比べると随分少ないという印象だった。
平家物語でさえ範囲が狭い感じをうけた。
範囲が狭いというのは物語の内容が狭いとか 浅いとかいうのではなく
シェイクスピアの劇中に気分転換風に出てくる 赤裸々な 汚さ
何かにまみれている 人々や状景 というものが源氏 平家にないからではないか
というのが 私の浅い考えでの結論。
シェイクスピアを題材にすると 外国の作品を相手にしているという
何か こちらがとる態度を許してもらえるような気楽さが
そのまま 自分の想像、創造にゆとり 大きさになって出てくるような感じがする。
しかし 英国のシェイクスピア学者で私が日本風に内容を解釈した文を読んで
”理解できない” と詳しいい手紙をよこした人がいたので
外国のものを知る というのはこんなものなのかもしれない
と実感している次第。
写真は 法院問答 なので 父 清盛
ホテルの二軒先におととしオープンした小さなお店に英語の出来る可愛い女の子が働いている。
大仙院のまーちゃんが折り紙を教えて以来顔馴染み。
さっき行ったらプレゼントを用意して待っていてくれた。
また来るかなあ いつドアの前を通るかなあ と思っていたとか… ありがとう!
昨日入手 今朝早くから午後4時半過ぎの今迄ルーブルをうろうろ
オペラをキョロキョロ歩いてホテルに帰ったのに全く大丈夫だった。
大当たり!
エジンバラ セントジョンズ教会 7月13・14日
田良原総領事
バーンズの詩5点に出てくる「風」をそれぞれに
以上 オープニングセレモニーとデモンストレーション
展示会場
Tomさん提供 第二会場
会期は8月17日迄
公園を横切り 廻り道をして エジンバラ城へ
公園では いろいろな音楽隊が お国柄 地方柄を
発揮して演奏していて 城の上迄聞こえてくる
イヤホンガイドが親切で「もっと知りたい人は 次の番号をどうぞ」
とどんどん進んでいく
最後の最後には「もっと知りたい人は おみやげ屋で専門書をどうぞ」
と案内された
日本でこれをやったら会場が人で一杯になってしまうだろう
この頃 日本の駅にしても 何にしても 案内も詳しく時間も正確なのは
そうしなければ多くの人が混乱 収拾がつかなくなるからだ
と思うようになってきた
日本人がきちんとしているのは人口が多いからなのだと
風の中を半日歩き廻りひどい有様
これを経験してから セントジョンズ教会でデモンストレーションを
していれば 違う風になっていた と思った
群馬で冬に吹く風は一方から強く吹いて 厳しいものだけれど
今日のこちらは 四方八方から吹いている感じがする
ハイアムホールでテレビを見るとは思わなかったが
BBCの新作ヘンリー五世を
以前 ケネス・ブラナー主演のものを見たことがある
チャールズ皇太子が 中の王のセリフを自分と例えたニュースを覚えている
今回の主役は 皇子の頃フォルスタッフ達と下世話な日々を共にしていた
感が希薄だが 王として周囲を説得する力があると思った
日本での字幕スーパー入り放送で 又ゆっくり楽しむことにしよう
お城の裏側には中国観光団のバスがずらっと並んでいたが
日本人には全く合わない
ワーズワース美術館のマグレガー館長さんも
オリンピックのせいか この夏は日本人観光客が来てくれないので
大変寂しいとメールを下さった
明日からパリだけれど 今年はどんなかしら
いつもの小さなホテルの近くにある教会の夕べの鐘を聞いて
ポーッとするために行っている様な気がする
※写真は教会前のポスター
ハイアムホールでの書のクラス
来年は七月二十八日から八月三日に決定
ずっとお世話になっていた アレックス氏が引退することになり
来年は新しい校長先生になる
八月のどれかの一週を 親族数十人で過ごすことにしているので
かち合わないようにしたいから
早く予定を知りたい という年長者もいる
五年目の今年 いつ迄この風景を楽しめるのかと
初めてしみじみとした想いで
周囲の山・緑・羊・古い校舎等を見廻した
皆さん来年一緒にいらっしゃいません?
ベトナムの書家二名の本やイギリスで出版された書の案内書等を見せてもらう
西洋のカリグラフィーに筆の跡を混ぜたもの
説明するのは上手でも字のひどいもの といろいろ
ベトナムでは文化上の断絶があり 書で師と言われる人は皆若く
五十才位の人が一番の年長とのこと
この二人の男性は美しい自分の写真を使い それこそ出来ることは
全てやって見せている
後に続く若い人達に興味を持ってもらう機会を作っている
という点で認めるべきだ というのがこちらの人たちの意見
野心がプンプン漂っている本だった
昨夕から眠気におそわれ 夜のクラスの前
大きい下敷きを膝に巻いて目をつぶっていた
後で聞いたところによると
一人が 私に気づき
「音をたてるな 時間まで部屋に入るな」と皆に言ったそうな
クラス三十分程で「私達は真面目に続けるから早くベッドに」と
今朝「普通は先生が生徒の面倒をみるのにこのクラスでは生徒が
先生の世話を焼く」と言われた
※写真はプレゼントされた花