小林みどりさん

2020.1.24

1月22日

1987年か88年くらいから昨年末までずっと続けて季節のご挨拶を送ってくださっていた小林みどりさんのお通夜へ。

ご主人の小林旭さんが 熱き心 の大ヒットで 声が出なくなり 国立ガンセンター の先生からの紹介で 誠次さんがポリープの手術を受け持った。

手術が終わる予定の時間よりずいぶん遅れて出てきた誠次さんの胸を掴んで ”先生いったいどうしたのですか?” とみどりさんは詰め寄った、 と前回鳩居堂さんにいらしてくださった時おっしゃった。

美しい元女優さんに胸にすがられて誠次さんはどうしたかを考えるとおかしいが

その時の 際どくセーフ の手当てのおかげで何十年たっても当時の歌声を保っていられる とおっしゃる。

石原裕次郎の股下何センチ を知っている年代だった誠次さんは ’いい患者さんだけれど 僕は医者なので ファンだ などと言ってはいけないのだ’ などと家で言っていた。

親しい構内の花屋さんから 送り主の名を入れないで 花を持って行っていただき 中に 本人の気持ちを代わりに書いたカードを入れておいた。

笑った奥様から電話をいただいた。

カムバックのリサイタルのことや前回の鳩居堂さんで 昔の厳しいロシアでの世界映画祭に日本からの女優さんとして出席された奥様の興味深い話題は以前ブログに書いたので カット

誠次さんが自分では何もできない状態になってしまってから4年近くの間 私は ただ一つ 生のある間誠次さんが周囲から忘れられないようにと埋もれ火を掻き立て掻き立てすることに努めていた。

一生懸命働いていたそのままの活力でこの世から送り出したかった。

 

’94に虎ノ門の日鉱ギャラリーでの大きな展覧会に 初めて奥様が会場にいらしてくださった。

私は ’ごめんなさい 今まで嘘をついていました、誠次さんは倒れてもう何年も経つのに ずっとそのことを隠していました。ごめんなさい と言って大泣きをした。その時のタガが外れてしまった気持ちが忘れられない。

さてお通夜の会場で お嬢様が ’パパ ヤンシュウ先生の奥様が’ と紹介してくださり リサイタルの時楽屋で お目にかかって以来お会いして 長い間のお礼を申し上げることができた。 楽屋での誠次さんはトイレにいきたいとか言い出し 残った私は ’思っていたより大きい方ではないのですね’ とか言っていたのだが 今回 大柄で たっぷり ゆったり とした立派な方だと知った。

しっかりしたお母様が作り上げた 優しい 情のある 暖かい一家 という感じで会場を後にした。

ヤンシュウ先生 というのは誠次さんのあだ名。