懐かしい時

2018.12.31

12月29日

平成5年に営業を終えた帝国ホテルのフォンテンブローで青春を過ごした方達が 定年 また定年後も続けて数年を勤めあげる時が来ている。

20歳代 メインダイニングに行くのはまだ早いと思っていた頃 エレベーターからフォンテンブローの入り口まで10メートル位を案内するためだけが仕事の、お年のホテルの看板の男性が ’若い方にこそ来て欲しいところ’ と雑誌のインタビュー に答えていらしたのを読んで出かけたのが始めだった。

忙しい連れ合いと 月に一度くらいは ちゃんとお互いの顔を見てゆっくりきちんと食事をするのも生活のメリハリ と思い、村上信夫料理長が採算を度外視、勤めている方達にしっかりしたメニュー、サービス、味を残すために月に一度の会を催すようになられた時だったので 海外に行っている時やよほどの予定がない限り通っていた。

1テーブルに三人の係りの方がついてくださっていたのは知っていたが その三人のグループが8組あったとかで常時24人がチームワーク良く動いていたとか、

いろいろな話を聞くことが出来たのは 今夜その方たちの忘年会に混ぜていただいたから。

女性は会計にしかいなかった時代だったのでフォンテンブロー同窓会に参加した女性は私が初めてとか

折角の集まりの邪魔になってもと思い早めに失礼 と考えながらもある意味大雑把な活気にあふれていた時代の楽しい話を聞いていたらあっという間に時間が経ってしまった。

また味わいたい品をみんなで思い出したり、3番というテーブルだったと教えてもらったが、そのいつもの席からの景色を思い浮かべてなんとも懐かしい時間を過ごした。

勉強のための海外派遣も多く、出席の皆さんによると、今の人たちは知識を持って入社するが、当時は何も知らずに職について 職についてから なんでもが新鮮なので必死で勉強したとか

その必死で勉強した方達だからこそ定年後も いて欲しいと頼まれるくらいの位置を得たのだと思う。

この忘年会の前 村上先生のお墓参りに行ってきた。

先生が数歳の時お母様がなくなり その後を追うようにお父様もなくなってしまわれて そこから小説以上の先生の人生が始まったわけだけれど、そのご両親の倍以上のお年を重ねられたことがわかる墓碑に感無量だった。

そのうち先生がいつも見ていらっしゃる空の写真をご覧いただきますね。