ロシア文学に日本の文字を当てはめるヒントを という私の問いかけに プーシキン の名をあげてくださった方がいらしたので早速丸善へ。
そういえば モスクワの通りで プーシキンと奥さんの像を見た と思い出すだけの情けなさ。
以前お世話になった書店の方が 岩波はすぐ切れてしまうので と言いながら 数冊選んでくださった。
同時に 誰の作品でもいいので興味の持てるもの とお願いしたら トルストイのクロイツェルソナタをご本人がいかにも楽しんで読まれたことがわかる様子で勧めてくださった。
ベートーベンの曲は知っているが クロイツェルとは何なのか 音楽のテンポの名前か?などと分からないままに読んでみた。
長い独白で一人の男性の考え方が延々と述べられている。昔なら飛ばし読みか途中でやめるかしたかもしれないが 今になれば小さい頃聞きかじった世間での様子 や 小説その他で表面に現れる態度の内面にはこうした揺れる思いがあってのことか と理解できる。
と考えていたところに突然クロイツェルソナタという文字が 私の知っているクロイツェルソナタのままの意味で文面に現れた。ああここで使われたのか と分かった途端曲が頭の中を駆け巡り ちょっとそのまま読み進められなくなってしまった。
ロシアとヨーロッパの近さが分かっていなかった。
ものを知らないこと 手がかりからちょっと知っていたことに結びついたこと ドキドキしたこと 面白い体験だった。
しばらくしたら最後まで読むことにしよう。