松濤美術館

2016.1.28

1月27日

”最初の人間国宝 石黒宗麿のすべて”展

書画軸 寒山拾得

ふたりがまっすぐに並んで立ち、左側箒を持たない方がスッと腕を上げている。

指の先に因指見其月

月是心枢要

の文字が。

八代目坂東三津五郎丈に ”父の寒山拾得の舞台、指さす先に永遠が見えていた。”と伺ったことがある。

私の父が畫いた二人は どうも ”やあ この間見かけた女の人は何とも美人だったなあ” などと仲良く楽しい会話をしているように見えてしまう。

今日見た二人は 勢い込まず まっすぐに立ち 指の先には自分たちの目指す地点が疑いなくそこに存在しているという簡潔、潔さを感じた。

解説書を見たら

”没する直前の作。寒山詩の一節、指が指す方向をみると そこに見える月こそ心の中の中心であるという意” とあった。

白浪五人男

2016.1.23

1月19日

新橋演舞場 白浪五人男

昔の歌舞伎紹介本に この場面を 江戸の良き日の頽廃ぶり と書いてある。

ちっびこ歌舞伎が人気を集めたのもこの一幕だった。

芝居好きの素人が一緒に口ずさめるような ある意味単調で明るい台詞回しをしてもらわなければ見る方は白ける。

心理劇ではないのだから父親に愛されない哀れな日本武尊風なものをこの華やかな短い舞台に持ち込まれても困ってしまう。

七つ面 の幕切れ ”一つにらんでご覧にいれましょう” でこの一年の厄払いをしてもらって良い気持ちになって家路に。

歌舞伎はこうでなくては

 

長野へ

2016.1.16

なんと ある政党の会で話を との依頼で長野に日帰り

特別な話ができるわけでもなく 今までどのように書と英語と付き合ってきたのかを話題にする。

小一、二、と毎朝学校に行く前 祖父と父に挟まれて筆を持ったこと、百万人の英語、第一回朝日イブニングニュースの英語弁論大会 NHK通信高校英語講座のことなど 話の筋を考えるのに昔のことを一つずつ思い出していった。

 

英語弁論大会で ”私の個人的な経験から”という題での私のスピーチの締めくくりの言葉は ”将来 私は英語を使い 習っている書を外国の人たちにも紹介したいと思います。”というものだった。

今回の講演で 場所などはうろ覚えなのだけれど 確か 芝公園にあったアメリカ文化センターの舞台で一等賞の賞状を受け取っている高校2年の私と今現在自分のことを喋っている本人が対面しているような不思議な思いを経験することができた。

イギリス湖水地方のハイアムホールカレッジでの8回の夏の講座で考えたこと、サウジアラビアの王子様がものを習うときに見せた王者ぶり など付録として話していたらあっという間に予定の一時間半がたってしまった。

それこそ 個人的な私の経験から しか話ができなかったが初春の講座ということでお許しいただくことに

その会に先立ち善光寺様の長臈村上光田大僧正 と善光寺様の栢木寛照大勧進副住職 のお二人とゆっくりお目にかかることができた。

去年NHK新日本紀行善光寺編に取り上げられた私のいとこも同席、話が弾んだ。

お二人とも比叡山のご出身の高僧で すっきり さっぱりとされたとても良い感じの方達でいらした。

いろいろ書きたいけれどまた次の機会に

 

役者も役者

2016.1.15

歌舞伎座 昼の部 梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)

クライマックスでの 剣も剣  切り手も切り手 という台詞の後 役者も役者 と大向こうから掛け声がが掛かって一層盛り上がる と大学生の頃読んだ本に書いてあり この芝居を見るたびドキドキして待っていたが 昨日初めて耳にした。

今回は狭い間に入りこんだようで今ひとつスッキリしなかった。受ける間を持てなかった感じがした。

数十年前羽子板市で手に入れた 石切梶原の役者の姿は渋く 凛々しく気に入っているが 今日の舞台の梶原は 好々爺 といった感じだった。

帰り平家物語サロンに出席。

なんと昼の部の 茨木 でお三味線を弾いている今藤長龍郎(いまふじ ちょうたつろう)さんがゲストだった。

会を主宰する橘氏がとても的確な質問をしてくださるので良いお話を伺うことができた。

茨木 のような舞踊劇 お三味線は 舞台の台詞 歌 動き全てに合わせてテンポを変えるので一回として同じ演奏はない。臨機応変さが必要。

流派によって音程感(この字で良いかどうかわかりません)が違うそれを合わせて弾く

正確なある場所を押さえないと音が出ない、 その一つの音を目指す その管理が大変。

長龍郎師は絶対リズム 絶対音感を持っているとのこと。

市川染五郎KABUKI in Las Vegas の作曲をされ今年もその公演があるそうだが 一番は古典 練り上げられた古典 と力説していらした。

西新井大師

2015.12.31

31日

機会を作らないまま行ったことのない西新井大師にお参りに。

8時台に乗ろうと歩いて行ったら7時45分浅草発に間に合った。

話には聞いていたが 西新井から一駅だけの大師線でお参りに というのはなんとも良い気持ち。

切符もいらないし、何か ”好きに乗ってよ” というおおらかな感じがする。

これが名物 という古いお店のおせんべを買う。

男性が二人で焼き 私より年上と思われる女性が 手掴みで昔ながらのガラスケースから一枚ずつ掴んで包んでくれる。

ばっちい などという人は壊さないお腹を作ってからお店を訪ねなければいけないのだ。

帰り堀切で降りて土手を歩いてみた。

溝のような 面白いところに線路と駅舎がある。

川の写真を撮ろうと思ったがいい構図にならない。

電車があちらもこちらも高架で走り 高速道路もいろいろ走っている。

忙しく 全てを利用して生きる日本 という感じだった。

皆様良いお年を

いただく こと

2015.12.31

28日

”食べさせたくて 粉のついた手のまま持ってきました。” というつきたてあんころ餅は本当に素晴らしい歯あたりの美味しさだった。

帰ると玄関に置かれている野菜(冬の間は大根が必ず入っている)もおいしく いろいろな大根料理を考えるようになった。

大昔 挨拶もできない(という言い回しをしたものだけれど)親の子供がお習字のクラスに入ってきた。 ある時 遠足で行った河原で拾ったお土産 と言って黄色い石を持って来てくれた。あまり表情もない子だったのでこちらもびっくりしたが 今も棚の上にある。

いろいろ困ったことが重なっていた時 たまたま低学年の男の子がお皿に洗った苺を ”僕の気持ちです。”といって持ってきた時は思わず抱きしめて泣いてしまった。

別に教わらなくても 何かを誰かにあげたい という気持ちになるのはごく自然なことなのだから私は嬉しく喜んでその心をいただく。

お気の毒に 同情します。

2015.12.31

27日

二人の子供が通知表を持ってきて見せてくれた。

ワープロで細かく色々なことが書かれている。

点数のようなものもあるがそれぞれが細分化されて どれがどれだか 同じような言い回しになってしまっている。

言わせて貰えば 読む気になれない 何を言っているのかわからない。 文字数だけ多い。

この調子で全部の子供に通知表を書く先生は大変。

後で聞くと今は ダメ いけない という否定的なことを書いてはいけないのだとか。

先生に これはダメ と言わせない社会はおかしいのではないか?

聞けば父兄会で先生を議論で追い詰める親がいるとか。

教頭先生は苦情電話の受付係になっているとか。

お気の毒に 同情します。

 

父が昔 ”教員が労働者という立場を選んだ結果がいつどんな状態をもたらすか?” とよく言っていたことを思い出す。

 

木曽最期

2015.11.21

銕仙会能楽堂での平家語り に

祇園精舎 小教訓 福原落 木曽最期 敦盛最期 と後半 俊寛  として足摺 有王 僧都死去 という演目

木曽最期  ハゴロモ社のDVDで聞いている野村万作氏による朗読が あまりに素晴らしく、 耳に残っていて、 今回の舞台では 原作の時代を感じさせる という点で二人の間に違いがあると思った。

両者とも原文そのままを言葉にしているのだけれど 木曽育ちの義仲の素の気持ちの揺れ と 特に主従の繋がりの強さ の現れ方が違う。

主従 という点では 理解出来ない現代人が 理解しようとして演じるのと 理屈から入らず そのまま全てを飲み込んで演じてしまう取り組み方との違いではないかと思った。

書かれた文章の内容だけでなく 世の中の大きな流れの中での人間の哀しさ までを見えない空間に表現できるかどうか

古典の世界で生きた人と 新劇出身の人の違いなのかもしれない。

しかし 有王 僧都死去 は淡々とした語り口が 大変内容にあっていて とても感心、

良いものを拝見させていただきました。

 

 

少数意見は常に正義なのか?その二

2015.11.17

週一度歩いて通る石原の交差点に出るまでの道にはプラタナスが植えられている。

それはそこに長くあるというだけのもので、 これから葉を茂らせるという時に、無残に丸坊主にさせられ 毎年枝を極端に詰められている哀れなずんどう状態の木々で 日陰を作って夏の日差しをさえぎることもできない 味もそっけもない、太いマッチ棒が立っているような街路樹になっている。

しかし 足元の数十センチ四方の土にいろいろな花や小さい植木 その他が長年共生していて 緑と色とりどりの花が 面倒見の良い人の家の前は美しく 何もしない人の家の前でもまあそれなりに根ついてそれなりの風景になっていた。

ところが  一ヶ月ほど前 切ります 片づけます というお役所の札が下がっていたと思ったら、 そのままの という野性的花壇ばかりか 数十年も見事なバラ 芍薬 その他 でミニ庭園のように手を尽くして美しく保たれていたところまで 全ての植物が一度に全部取り去られてしまった。

先週 見事なバラの花が三本窓辺に飾られているのを見て ああ今まで手をかけてきた人のいうに言えない気持ちがこの三本に込められているのだ と気の毒でならなかった。

昔 ここ墨田区に越してきた時 広報に質問コーナーがあり 家の前の公道に花や木が植えてありますが? という問いに対して 区役所からの答えとして 墨田区は緑が少ないので 家の周りに自分たちで植えたり 置いたりしている植物で 味気ない風景にならずにいるのです。 みんなでそれを楽しみましょう と書いてあったのが 忘れられない。

今回のことは 前に 少数意見は常に正義なのか を書いた時のような やっかみから 市役所に言いつけて 人の家の角の美しかった緑を丸坊主にさせた と同じことなのか それともお役所が ただ面倒なので 元の状態に数十年ぶりに戻したのかはわからない。

何れにしても なんでも同じでなければいけない、 ただ決まったところにそれがあれば良い といった単純な考えからは情は生まれてこない。 マニュアル以外の挨拶 返答ができない空っぽで人形のような人を育てている仕事場の多さ と同じことなのではないか と空恐ろしくなる。

井上道義x野田秀樹 フィガロの結婚

2015.10.24

お習字のグループで 井上氏のオペラへ

日本語と原語両方を場面場面で使い分け 細かいところをいろいろ考えた演出だった。

ひどい早口、早い動作、 役者が舞台を走り回る姿ばかりが目に付いた鼠小僧よりよほど楽しめた。

音楽が元にある というのが演出する方には枷 かもしれないが 見る方には安心の因。

3分の1くらいまでは 原語で歌う場面になるとホッとしたが 段々まとまってきて耳になれてきた。

群舞 コーラスが兵馬俑か唐三彩の出土品といった感じなのが気になったが 大きな髷で大きく見せる必要があったのかもしれない。

さて会場の前の広場で古本市が開催されていて 昭和2年3月の歌舞伎座のプログラムを入手。細かい活字でびっしりといろいろなことが書かれている。

裏表紙の宣伝が三越で 描かれた若い女性の着物姿がなんとも良い。

ショールと言うよりエリマキといった感じのものがお振袖の肩から膝くらいに細く垂れ 今このままこのお嬢さんが目の前に現れたら 独創的でなんとこの先が楽しみなセンス、 と記憶に残ると思う。

多くの紙面を読者の俳句、川柳 劇評に割き、観客と座本の関係が近かったことがわかる。

印刷が鮮明でないので読みづらいが内容が密なのでゆっくり楽しむことにしましょう。

嬉しいこと

2015.10.17

10月17日

昨夜たまたまパソコン上でケネスブラナーのヘンリーVを見ることができた。

ずいぶん昔テレビからとったテープで何度も見て楽しんでいた劇なのにここ10年ほどテレビが変わり見る機会がなかったので 懐かしく嬉しかった。

’12の夏 湖水地方のハイアムホールに私を訪ねてきた知人が ”今夜 ヘンリーVが BBCであるから、”と教えてくれて いつもラジオだけの一週間を過ごすところで 夜の書のクラスも早めに切り上げ応接間に一台あるテレビで新作を見たことがある。

画面が綺麗なせいか なんとなく薄い感じがした。ブラナー編の方は周囲の役者が誠に特異な風貌の 演技も上手な人たちばかりで印象が深く 主役も放蕩時代を過ごしたのちに国王になったという役にぴったりで。声 台詞の間がなんとも言えず英語でほとんど理解できなくても良い心持ちになるものだった。

この夏現地の人といろいろなところで話をしていて ”あの場面のあの言葉” を思い出せずに歯がゆい思いをしたが今回フィルムを見たおかげで ちょっとお勉強をしましょう という元気が出て 英語と日本語訳の厚い本をひっくり返して ”コレコレ ”と引っかかっていた原因をその中に幾つか見つけて落ち着きました。

気をつけなければ

2015.9.19

9月19日

友人と久しぶりのところに散歩に

週末など閑散としていた地下鉄の周囲に気の利いた小物を扱うお店が数多くできてこのところ人が出てきたらしい。

一つのお店は非常階段を綺麗に塗り直し 内壁上部が頭の高さと体の幅に気をつけながらぐるりと歩ける回廊のようになっていた。

そこに27の窯元からの豆皿が30cmくらいの面にそれぞれ数点ずつ並べられていた。

大変名のある会社も多く 勢揃い といった感じだったが 照明と観客の目線の関係かどれも一山いくらで売られているようなものにしか見えなかった。色がぼやけ 絵柄が平板で 訴えてくるものがないように思われた。

私の目のせいもあると思うけれど

店の人は隙間をどう無駄なく使うかということしか考えなかったと私には感じられた。

27社の関係者が実際何処まで承知で参加したのかはわからないけれど 自分の作品を人に見ていただく 時は いろいろ大切に考えなければいけないものだなあ と悲しくなって早々に失礼してしまった。

シベリウス ヴァイオリン協奏曲

2015.9.18

9月18日

今月からトリフォニーホール 新クラシックへの扉 2015・2016シーズンが始まる。

金曜午後組には初めての参加

客層は土曜の方が広いようで来季はまた土曜にしようっと。

拍手だって全員同じような聴取者からでは変化がなく面白くない。

音より演奏者に興味があるので今回は3列目。

堀米ゆず子さんの演奏を聞くのはたぶん初めて と思うけれど最初の音が出た途端 実際には行ったことのないフィンランドの光景が目の前に広がった感じがした。

名声 演奏能力をどう保つか 見かけの助けはいつまで有効か などなど余計な心配を本人も世の人々もする必要がない安心感があり 格の違いを感じた。

次の曲 バーバー 弦楽のためのアダージョ、 イノウエ氏の指揮が 剣の立合いのようで 一度途中で ハッと(フッと)息を吸う音が聞こえ なかなか興味深かった。

 

律儀な日本の会社

2015.5.20

太田の郵便受けに赤ちゃんとママ社 という封筒で何かが送られているのを発見。

孫でもいると思ってのことか?とお腹の中でウーっと唸って開けてみると

このたびは、いじわるばあさんかるた がま口プレゼントにご応募いただきましてありがとうございました。

厳正なる抽選の結果、見事当選いたしました。 とのこと。

半年ほどたってのことなのですっかり忘れていた。

しっかりしたものなので感謝を込めて お金ではなく 大事なものを入れさせていただくことにする。

ありがとうございます。

乗り過ごす。遅刻する。

2015.4.11

4月7日 入手、 重い本なのに持って歩いて 地下鉄を乗り過ごしたり クラスに遅刻したりしながら夢中で読んでいた ”宿命の子” 終了。

いろいろな場面で切なくてたまらなくなる。

ぶれない人たちの偉大さに感服。

いろいろ感想を述べるのは申し訳なく 罰が当たりそうなので止めます。