音(ね)の会

2016.8.12

国劇部からプロになられた市川新蔵丈が摂州合邦辻の合邦を演じるので国立劇場での’音の会’へ

長唄 舌出し三番叟 で始まる。

ペン と最初の音がした時 何かちょっと違う と

国立劇場歌舞伎音楽既成者研修発表会 だからという偏見のようなものが私にあるのか と反省し 目をつぶって ベテランの人たちが演奏しているのだ と想像しながら素直な気持ちで聞き直したが 何か弾まない。

いろいろ考えてみた。

字を書いていて一画 一画ずつ落ち着いてしまって次の動きに続かないのに似ている。

丁寧なのは良いが一つのことにそのつどしっかり納得しないと次に行けない性格に似ている。

だから弾まない 神に捧げる三番叟 にならない。

でも 適当なベテランが上っ面で弾くと流れて 品がなくなるので そこもまた難しいところ。

新蔵丈はさすが。

口跡が良いのでいつか青果ものを拝見したい。

玉手御前はイメージが違う体型と声だが 熱演。もう虫の息なのに瞬間的な激しい動きと台詞で見ているほうが度々驚いたのも

ここ二日間の芝居に対する思い入れのためと感じられた。

 

 

週刊新潮 7月7日号

2016.7.2

週刊新潮7月7日号 136ページの写真に 私の作品の半分くらいが写っています。

羽田クロノゲート

2016.6.7

6月4日

羽田のクロネコヤマトの物流ターミナルを見学

マクベス

2016.6.4

6月3日

そうだ マクベス を見なくては と思い出してシャンテ へ。

私は夏の良い時期のスコットランドしか知らないけれど 古城や海を思い出しただけでも 今回の映画がマクベスの時代の 土地 その他を表現しているのではないかと思えた。

主を自分の城に迎えて殺すのだが 普通に思い描く城ではなく 部落、 野戦テントの集合のようで神を祀る小屋が一番まともな建物 といっても立派な掘建小屋クラス。

暗さ 雨 ぬかるみ  と重い風景のみ。

マクベス夫人が ミッドナイト イン パリ の中で活躍したMarion Cotillard で この女性ならピカソもヘミングウェーもその他誰でも魅了されたのは頷ける と思わせた女優さんだが この映画では 戴冠式の場面も豪華な生地なのは解るが抑えた色調の衣装できらびやかなものはない。

それだけに 手と血の場面も抑えた演技で ’自分の胸の中で乳を飲んでいる子供も平気で殺すでしょう’ というくだりも冷たくなく淡々と述べている。

今までは 焚き付けておいて自分が先に神経的に参ってしまって 旦那のためにならなかった女性といった印象だったが この映画では最初から最後まで良心の呵責におびえ続けるマクベス、 一度も 達成感を得ることなく時を通り過ぎたような描かれ方で 夫人はある意味男性より広い気持ちで出来事を受け入れていた というふうに感じられた。

それにしてもなんとも上手な役者さんだ。

昨日受け取ったグローブ座からの雑誌にこの映画での衣装が8月まで展示されているとの記事が出ている。

今年の夏イギリスに行かないのが残念!

スヌーピー美術館

2016.6.2

知人が切符を取っておいてくださり初めてスヌーピー美術館へ

以前森美術館でのスヌーピー展を楽しんだことがある。

この春の旅の機内では行きも帰りもスヌーピーの同じ映画を楽しんだ。

大学3年の受け持ちでいらした稲村松雄先生がフルブライト留学から帰ってすぐスヌーピーを日本に紹介しようとされたが時期尚早だった と残念がっていらしたことを思い出す。

1966年カリフォルニア ロスガトスの知人の家から私と同い歳の子供が赤ちゃんの時引いて遊んでいたスヌーピーの木製のおもちゃをもらって来た。全く普通のビーグル犬で 漫画とは大違いなのだけれど 今度家に帰ったら商標が付いているのかどうか調べてみよう。

昭和70年代はじめ’ハワイでスヌーピーのぬいぐるみを買ってきてね’ と両親に頼んだら 自分たちが気に入ってしまい私の手には渡らなかった。

作家がまだスヌーピー以前の漫画を描いていた頃の作品が載っている雑誌、 The  Saturday Evening  Post   JULY16,1949 が並べてあったが その表紙の題が

Our Pacific Sub Boss Tells How WE GAVE THE JAPS A LICKING UNDERSEAS だった。

二世の方達の苦労やいかに と思わずにはいられなかった。

大工棟梁。木と向き合い、時を紡ぐ

2016.6.1

5月28日

世田谷美術館 竹中工務店 400年の夢

この春たまたまお目にかかる機会を得た 大工棟梁 阿保昭則先生の実演の前の 大工道具の歴史とものづくりの心 と題する 竹中大工道具館館長 赤尾先生の講演から出席する。

大変な人気で 会場満員

3ミクロンの薄さで鉋をかける記録を持つ阿保先生は ラップに包まれた大きな板と鉋を持っていらして素人の参加者に実際に削らせてくださった。

私もやってみようと並んだら後ろの人に’今までなさったことがおありですか?’と聞かれたので 考えたのだが ’鰹節を削ったことしかありません。’と答えた。

なんとなくのタイミングで実際に鉋を手にすることはなかったが 会場にはみんなが代わる代わる削る良い匂いが立ち込め 私も ひとひらいただいてきた。

3ミクロンの木屑は3枚重ねてもまだ透けて景色が見えるとか。

世界の大工道具と日本のそれとの違いの説明を受け 力で押すグループと繊細な手入れをした道具で引くグループの違いを教えられて納得。

元舛田山 千賀ノ浦親方停年記念の会

2016.5.30

5月29日

浅草ビューホテルで

結婚されて両国の新築のマンションに入っていらした舛田さんご夫妻と同時に入居した私たちはなぜかすぐに仲良くなった。

橋場に停年まで後12年を残し 平成16年に千賀ノ浦部屋を相撲協会55番目の部屋として独立。

門にかける部屋名の額を書かせていただいた。

’相撲をやめてからもさすが と言われる弟子を育てたい’ という目標で進んでいらしたとうかがい 親方の人柄 おかみさんの素晴らしさがあってこそ このパーティに大変大勢の人が集まり、 若乃花(二代、三代)、貴乃花 また 強い時の横綱千代の富士に勝った試合のビデオに懐かしい想いで大きな拍手が送られたのだと実感。

なんじゃら かんじゃら

2016.5.30

5月21日

銀座で 時間があると教文館に行くことが多い。

一緒に行ったことはないが父もそうしていたらしい。

信仰にあふれている と見える店員さん達はいつも物静かで丁寧な応対をしてくださる。

’読売の読書欄にでていた スパイがなんじゃら かんじゃら という本をいただきたいのですが’ と言うと

’スパイがなんじゃらかんじゃら、、、’と二人で目を合わせていたが ’あ!そのなんじゃら、、はこちらです。’ と私が興味を持った本をニコニコしながら差し出して下さった。

今 サマセット モームがスパイだった というところを読んでいる。

店員さん達は茶飲み場や 寝床で ’うっ! とこみ上げる笑いを解放したかもしれない。

キエフ紀行 nippon.com

2016.5.27

ウクライナ ロシアに行く機会を作ってくださった千野さんが書かれた記事をご覧ください。

アドレスをコピーしてペーストする という作業を昨夜習ったので うまくいきますように。

http://www.nippon.com/ja/column/g00371

大丈夫でしょうか?

 

ホテル日航熊本からの写真

2016.5.20

和食堂 弁慶 に作品を置いていただいているホテル日航熊本から

このような写真が送られてきました。

広間の窓の熊本城の雄姿が素晴らしかったのに、報道されているような無残な姿に今はなっているかと思うと‥

どう表現していいのか言葉もありません。

おいしい

2016.4.1

この旅に出てからというもの おいしい という言葉しか聞こえて来ない。
昼も夜もあれだけしっかり食べて 朝食が又おいしく食べられる というのは余程健康なのですね。 と同行の方から驚かれている。
今日はノボデビッチ修道院の墓地を歩き回り トレチャコフ美術館一巡り、
昨日ZILの社長さんにいただいたお菓子の箱に印刷されているのと同じ絵を発見、
夜はボリショイサーカス と長い1日を有意義に過ごしたので眠くてたまらない。
あすの朝食を楽しみにして おやすみなさい。

ZILからのプレゼント

 

 

おいしいステーキ屋さん

チャイコフスキーが

2016.3.31

白鳥の湖のイメージを得た場所で

31日クレムリンにて

2016.3.31

今の姿です。

Dignity

2016.3.28

今回 ウクライナでの5回のデモンストレーションの内 一回は心という字を取り上げようと思っていた。
オレナさんは シェフチェンコやゴーゴリ等と一緖にRevolution of Dignity という言葉を書いてきた。
若い多数の人々がこの言葉の下に命を落とした、とあった。
Dignityという単語はイギリスで人々の話のなかに良く出てくる言葉だつた。
三回目、政治報道関係者対象といわれた会で 最後に黒い屏風に金で 心を書く前に、私がこのRevolution of Dignity という言葉をオレナさんから知らされた と告げ、皆にこの言葉から思い出される語句や音 は何か、と尋ねた。
鼓舞する歌、一緒に耐えよう、頑張ろう、勇気を出そう、といった歌があるのではないか と考えていた。

3月25日 キエフ

2016.3.25

一つ荷物が届かない、ということがあるが無事キエフでの行動開始。
大使館で私のデモンストレーションなどのいろいろ細かいことを全てして下さる方にお会いする。
現地の人達との間で動いて下さる方無しでは事は運ばない。
朝 大通りに出ると 私の知る限りでのヨーロッパとはまた違うなんとなく懐かしさを感じさせる街並み、建物。
粉雪がハラハラと舞う  という感じ。
お昼から荷物の整理、打ち合わせ  と28日夜までの忙しい時間はが始まります。