2020.10.24

心ときめきするもの  雀の子飼

 

 

12月1日(火)から 銀座鳩居堂さんにて

小澤蘭雪書作展

一に思はれむ とこそ   枕草子・中宮定子へのオマージュ

 

 

2020.10.23

 

この他にあと三点「麗」が会場にならびます

 

12月1日(火)から 銀座鳩居堂さんにて

小澤蘭雪書作展

一に思はれむ とこそ   枕草子・中宮定子へのオマージュ

皆さまのお越しをお待ちしております

 

2020.10.22

本日より 個展作品の一部をご紹介します

それぞれの字にご自分の世界を重ねていただけると嬉しいです。

 

 

 

12月1日(火)から 銀座鳩居堂さんにて

小澤蘭雪書作展

一に思はれむ とこそ   枕草子・中宮定子へのオマージュ

 

 

若草山 山頂

2020.10.21

昨日はお団子の後 大仙院さんに尾関宗園師ご一家を訪ね その帰り思わぬ方向に

行って一日を訳わからない感じで終了した。

思わぬ方向に と言うことを書き出すと疲れが出そうなのでやめよう。

 

さて

今朝春日大社へと思って車に乗り、やはり頂上は無理としても若草山の天辺にある鶯塚が見えるところまで行ってみよう、と気持ちが変わった。

車止めからしばらく歩くと奈良市内を見下ろせる場所に出た。

平城宮跡まで見える。

朝日に輝く盆地を見て より大きな京都へ移った後の時代を思った。

もう一段階上高いところの端に石碑が見える。

古墳の上に建っているのがよくわかる。

石碑の裏によく読めないが清少納言がなんとか、と刻んである。ここを訪れたか、話に聞いたのかは知らないが鶯塚が彼女の知識のうちにあったことは間違いない。

ガイドブックや映像では得られない臨場感は空気にある、と実感。

 

この世の中、できる範囲で良いからこの 実際の空気に触れる と言うことを忘れないようにしないと絵に描いた餅、これまでの狭く限りある経験から、

折角名物のお団子を食べながらも、

自分の不明を恥じない文句つけの人間になってしまうのだ と私は世の中で流行っているクレーマーたちに言いたい。

何だか戦闘的になってきたのでこの辺りで

 

内容豊富な旅でした。

 

 

 

 

みたらし団子

2020.10.20

泉涌寺から三十三間堂と言って乗ったタクシーの運転手さんが、まず、コーヒーを飲んでから、という私の希望で、あちら側にコーヒー屋さん、だけど こちらにお団子 と勧めてくださるので、五人座れば満員、カーテンに区切られたところで若旦那が1メートル位の幅の台の隅に置かれたガスコンロで小さい5粒ほどの串刺団子を焼いてのご商売 というお店に入った。

一人、奈良博帰りの老婦人が力うどんを食べている。

私のお団子が焼けるのを横からのぞいているとどうもガスの上で水が滴るようで不思議だった。

とろりとしたお醤油味のたれがたくさんかかり、きな粉がかけてある。

きな粉を吹かないようにと注意される。

美味しい、隣のおうどんも美味しそう!

お昼のお赤飯が効いていて残念!

焼けたの、柔らかいの、焦げたの、などなど書込みをされたので注文されてから目の前で焼くことにしたとか、

女性二人で、世の中にはその時その時味わうーいろいろな美味しさがあるのだ、うるさいことを言うな、と意見が一致して盛り上がる。

うどんもその都度お出汁を取るそうで、出て来る前から良い匂いがしていた、と彼女は私を羨ましがらせる。

大仙院さんにお土産に と 10本焼いていただく。

滴る水に注目、それはお団子から、あぶくのような小さなふくらみが出来て弾けていたのだ、と判明。

一件落着。

高島屋さんの会にも呼ばれるそうで有名なお店だったらしい。

次回は力うどんだ。

 

20日午後

2020.10.20

タクシーの運転手さんも知らないような鳥辺野御陵へ
泉涌寺の受付で道を訪ねて下さった運転手さんに励まされて、
バッグを抱え直し一人赤い橋の下へ

暗い道を下へ下へと左を見れば鬱蒼とした谷、
人の影が私の頭の影に重なって動いた時はぞーっとした。
その影は上の赤い橋を渡っている人のものだった。
昔 そのまま放って置かれた遺体も一杯あったと聞くし、
私は皆様の害になることは決してありませんからどうぞ大人しくしていてください、
と心の中で頼みながら歩いた。
道を間違え麓に帰ってしまったかと思った時、階段が現れた。
頑張ってだれかが書いたような字の看板に 
足元の石が不揃いなので気をつけて
という内容のことが  宮内庁  として書かれている。
石はどれも趣があり、見ていて飽きないようなものばかりだった。

青空、白い雲、明るい山頂に緑に囲まれた鳥居、御陵が現れた。
柵の前でいろいろ考えていると小さな黄色の蝶が鳥居の周りを舞い始めた。
そろそろ失礼しようかと思ったら何と二頭の蝶が廻り始めた。
蝶の道行という舞踊を見たことがあるが 一条天皇と中宮定子かと目を奪われた。
暗い木立の、来る時は恐ろしかった帰りの道は 明るさに向かって となり、
心安らかに、満たされた気持で出発点に戻った。






今朝京都で

2020.10.20

10時発二階建て観光バスの乗客は私一人。
ガイドさんに申し訳ながると 
今朝一番は欠行、10時発に予約をしていたグループは
昨日の寒さで屋根付き二階建てに変更してしまったとか。
欠行になるとお手当が出ないそうでかえって喜ばれた。
近くの席に来て説明して下さった。
2階からみると少し街の状態が大きく掴めるようで、興味深かった。

知恩院の近くでおろしていただき、
修景なったお堂での11時の法要というのにも間に合い、
今あちこちから木魚の音と一緒に流れてくるお経に囲まれている。
自動販売で飲み物を買っている人を見ていたら
その機械からも南無阿弥陀仏と言うお経が聞こえてきた。
浄土宗だからなのかこのおおらかなゆったりした境内は
いつ来てもすっと溶け込める。



この文を書いた場所です。

いつもここにちらりと桜が咲いています。

長谷寺ご本尊様にご縁をいただく

2020.10.19

清少納言、奈良、とくれば長谷寺。

午前中で字付けを終え、小雨の長谷の観音様へ
ご本尊観音様の御御足に触れて、ご縁を結べます。
10月10日から12月6日まで

ということで
観音様の足元のお部屋に入り、その大きさに圧倒されながら 右のお御足にすがらせていただいた。
外に出て舞台から拝見する枠内のお姿も優しく、
交通の便もない平安時代でも多くの参詣者を集めたことが頷かれ、
更級日記の作者が都での大きな行事を見ず、
周囲の人に呆れられながらも長谷寺に参ったことが身近に感じられた。

 

 

10月19日

2020.10.19

今朝の奈良は薄曇り
これから山の中の工房へ字付けに

春、引きこもっている時 枕草子の中の 中宮定子 一条天皇 と 清少納言の関係を
ゆっくりと続けて学べたことがとても良いことだった、と実感している。

書作品にした以外の文字や語句に的を絞ってみよう

さあ行ってきます。



 

大は小を兼ねない

2020.10.18

今日から奈良
着るもの 決めてあったのに この温度の変わりやすい季節で朝になってからこれでもない、あれでもない、と
このところ全てのことが返し縫い状態で時間がかかること、、
思いつくことは多く、広がるばかり、ことが捗らず、まあ後にしよう、と諦めるのは早い。

旅行にはゴムのペタペタ草履を履いている。
幸い実際に経験してはいないが 外国で草履の鼻緒が切れた時これで間に合う。
指が開き、足の内側真っ直ぐを意識して使うので足腰に良い。
言いようのないJALの係りの方が受付前の絨毯の上の私の足元を見て、お楽なようでよろしゅうございますね 
と言って下さったのが忘れられない。

さて
6月 知らない店で買った同じ形のゴム草履は日本製でなく、何とあまり履かないのに貼ってある茣蓙がずれてしまった。
後日いつもの店に行ったらMサイズは一足だけ、大きい分には大丈夫、とお店の人に言って数足持ち帰ったが
今朝L版のそれを履いて出てみるとペタペタと 持ち上げるのに余計な力を要し、
あ、これはダメだと 建物の外からまた部屋に戻った次第です。

これで大丈夫関西を歩き回れます。

軽い靴 バッグに入っていますのでご安心ください。

 

10月12日

2020.10.12

月一発行の新聞がデジタル化されてその様式が変わるまでの3年7ヶ月間 国政協に書作品の写真と短文を掲載していただいておりました。

2000年10月 情 という字に合わせて書いた文章は以下のようなものです。

藤原行成(972ー1027)は年上の清少納言を好もしく思っていたようです。

夜をこめて 鳥の空音ははかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

という百人一首の中の清少納言の歌は行成に対する返歌として詠まれたものです。

女主人の中宮定子が連続して見舞われた大きな不運を、一緒に受ける者の一員として、自分の才気をつつましく隠す、などということはせず、元気に、持っている機知を十二分に発揮して、周囲に明るさをふりまいていたのが清少納言です。

並の男性ならその生気に圧倒されてしまって、とても行成のように、’美人ではないが、口のあたりが何とも愛きょうがあっていい’といったのんきなことは言っていられなかったでしょう。

自己の力ではどうにもならない不幸の中で、からりと、生き生きと振る舞うことのすごさを紫式部が理解できていたら、清少納言のことを日記の中であからさまにけなすこともなく、式部自身の株がもっと上がっていたのにと思えるのです。

和様書道を確立した行成は、ただの優等生官僚ではなく、時の流れを変える力もある男性でした。

 

12月1日からの個展 枕草子 が舞台です。

写真は表具前の 枕 です。

 

 

 

10月10日

2020.10.10

稲荷町・老舗唐紙問屋の東京松屋さんに
"火"という襖一枚位の大きさの作品を置いていただいています。

昨夕、海外の方が欲しがっている という電話をいただきました。
たまたま書けた作品ですので、 手放したくない とお返事しました。
随分経ってから 同じ様なもので良いから欲しい という連絡があり
渋る私は「大丈夫 大丈夫 淡墨のきれいな作品 先生は書けます。
それで大丈夫。」という暗示にかけられ     がんばりました。

一文字を百枚単位でもがいていた頃に比べると
この一年程 待っていた線が以前より早く紙面に顔を出してくれるように
なった感があります。

でも、自分に甘くならないように気をつけます。



 

まだ、乾いていません

10月9日

2020.10.9

12月1日(火)~6日(日)
銀座鳩居堂さんで展覧会です。

日本での個展としては
2007年 銀座東和ギャラリーでの
"墨で奏でる ヴェルディオペラ"以来です。
関係者の御厚意で提供していただいた 
銀座、一階、広い道路に面したガラス張り、の広い会場で
大きなものをゆったりと展示することが出来ました。

私の全く関知しないところでこの展覧会がある賞の
候補になっていたことを後日 インターネットの記事で知りました。

今回は 枕草子 を取りあげます。


 

 

 

’07 "墨で奏でる ヴェルディオペラ"  展覧会場

大丈夫 安心して

2020.7.11

7月11日

数ヶ月ぶりの新日本フィル演奏会

尾高忠明氏指揮  ベ ートーベンの皇帝 とブラームスの交響曲第1番

私の中で紅顔の美少年だった清水和音氏が大貫禄の姿を現した。

弾き出しが華やかにばらけてしまっているように感じられた。

途中で 両頬を軽く叩いたり しばらくしたら 頭の前の方を両手で抑えたりされた。  今の世の中の状態に在っての感情の現れなのか 演者個人の何時もの癖なのか私にはわからなかった。

楽章と楽章の間 ゆっくり頭を巡らし、ホールの景色を体に刻み込ませようというような四方を見回す姿、ある短いところで思いを込めた自分だけの速度の変化、曲が進むにつれて本人が変わる様子 を 私は感じ、それが自分の未熟さによる誤解であったとしてももう気にしないで  演奏者は 今 の中で 特別な 皇帝 を奏でているのだ と素直に思うことにした。

これぞクラッシック代表曲 という二曲を現在の状況下での熱演を聞きながら

思想、建築、美術 学問 など

今までも世の中の多くの人々を支えてきた 人が作り出した大きなものの存在を感じ

人間世界はこの先も大丈夫 と勇気付けられた。

 

ペストでも 黒死病でも 平安時代の天然痘でも 生き残る人はいる。

自分が 先に逝くグループに入るか 残るグループに入るかは誰にもわからないけれど 世の中に 本物 が大切に残されていさえすれば大丈夫 安心して

 

ただ 本物がわかる人々を生み 育てることが前提

 

 

平城宮跡歴史公園 聖武天皇、光明皇后御陵

2019.12.19

12月19日
 JR奈良駅から乗ったバス  平城宮跡は広いので次の停留所、と思っていたら終点の大和西大寺に着いてしまった。
開門と同時に、 と勢い込んでいたのに悲しくなって、駅前でコーヒーとケーキを。
すぐに元気になりタクシーで朱雀門へ。
遣唐使船に乗ってみる。
一隻に150人このような船で外国へ
横になることもできず、鎖に繋がれ、奴隷として売られた人たちが乗った外国での事実はつい100、200年くらい前のことだが、
この遣唐使船の中では学問に精を出し、未来に必要な書物、先達、を山と積んで航海していたのだ。
係りの方が親切にいろいろ教えてくださった。
奈良時代の人たちは150cm位だったので、中学生達がその数乗った風景を見ると ああそんなものだったのかと実感するとか。
漕ぎ手の足場の狭さにびっくり。
今も似たものを使っている人たちがいるようだが、編んだ帆の扱いもさぞかし大変だったのでは、
天平の甍、に出てくる   写本に時を注ぎ、全て帰りの難破で海の藻屑となる場面が忘れられないのだが
説明の方によると、私が言った、この旅は月に行くようなもの、ではなく、もっと身近な外国旅行 だったのではないか と 思っている とのこと
思わぬ場所についてしまうことはあっても 沈んでしまう確率はそんなに大きくはなかった とのこと   数字を聞いたが忘れてしまった。
ホールで29分かかる鎌倉時代に描かれた鑑真和尚に関する絵巻物、5巻、3巻途中から最後まで見て、続いて8分の漫画、遣唐使船で渡った人達、を見る。
急がない旅の良さを実感。
天平いざない館へ。
大極殿 の額の字が長屋王の写経からの集字 と聞いてびっくりする。
排除された皇子の字を当時だったら絶対に掲げることはなかっただろう。
写経からの字ではあっても光明皇后の楽毅論 にとても似ている。
結果を知っているからそう思えるのだと考えるが、やはり、二人の人間の素質、良い悪いではなく、その違いに感じ入る。
これでは同じ土俵には上がれない。







12月20日
陶器の字つけ?の後、聖武天皇と光明皇后陵に連れて行っていただく。
ここに、という想いで息をする。
左脇の皇后御陵からは東大寺を含む素晴らしい景色が一望できるのがわかる。
だが今は真正面に民家があり、意思がはね返りより内部で増大しているのではないかと ふと思った。

頭のどこかに入っていたパーツが結びつく ジクソーパズルを前にしているような楽しさを感じる時間を過ごす良い二日でした。
慌てない、慌てない
御陵から見える東大寺大仏殿