7月11日
数ヶ月ぶりの新日本フィル演奏会
尾高忠明氏指揮 ベ ートーベンの皇帝 とブラームスの交響曲第1番
私の中で紅顔の美少年だった清水和音氏が大貫禄の姿を現した。
弾き出しが華やかにばらけてしまっているように感じられた。
途中で 両頬を軽く叩いたり しばらくしたら 頭の前の方を両手で抑えたりされた。 今の世の中の状態に在っての感情の現れなのか 演者個人の何時もの癖なのか私にはわからなかった。
楽章と楽章の間 ゆっくり頭を巡らし、ホールの景色を体に刻み込ませようというような四方を見回す姿、ある短いところで思いを込めた自分だけの速度の変化、曲が進むにつれて本人が変わる様子 を 私は感じ、それが自分の未熟さによる誤解であったとしてももう気にしないで 演奏者は 今 の中で 特別な 皇帝 を奏でているのだ と素直に思うことにした。
これぞクラッシック代表曲 という二曲を現在の状況下での熱演を聞きながら
思想、建築、美術 学問 など
今までも世の中の多くの人々を支えてきた 人が作り出した大きなものの存在を感じ
人間世界はこの先も大丈夫 と勇気付けられた。
ペストでも 黒死病でも 平安時代の天然痘でも 生き残る人はいる。
自分が 先に逝くグループに入るか 残るグループに入るかは誰にもわからないけれど 世の中に 本物 が大切に残されていさえすれば大丈夫 安心して
ただ 本物がわかる人々を生み 育てることが前提