平城宮跡歴史公園 聖武天皇、光明皇后御陵

2019.12.19

12月19日
 JR奈良駅から乗ったバス  平城宮跡は広いので次の停留所、と思っていたら終点の大和西大寺に着いてしまった。
開門と同時に、 と勢い込んでいたのに悲しくなって、駅前でコーヒーとケーキを。
すぐに元気になりタクシーで朱雀門へ。
遣唐使船に乗ってみる。
一隻に150人このような船で外国へ
横になることもできず、鎖に繋がれ、奴隷として売られた人たちが乗った外国での事実はつい100、200年くらい前のことだが、
この遣唐使船の中では学問に精を出し、未来に必要な書物、先達、を山と積んで航海していたのだ。
係りの方が親切にいろいろ教えてくださった。
奈良時代の人たちは150cm位だったので、中学生達がその数乗った風景を見ると ああそんなものだったのかと実感するとか。
漕ぎ手の足場の狭さにびっくり。
今も似たものを使っている人たちがいるようだが、編んだ帆の扱いもさぞかし大変だったのでは、
天平の甍、に出てくる   写本に時を注ぎ、全て帰りの難破で海の藻屑となる場面が忘れられないのだが
説明の方によると、私が言った、この旅は月に行くようなもの、ではなく、もっと身近な外国旅行 だったのではないか と 思っている とのこと
思わぬ場所についてしまうことはあっても 沈んでしまう確率はそんなに大きくはなかった とのこと   数字を聞いたが忘れてしまった。
ホールで29分かかる鎌倉時代に描かれた鑑真和尚に関する絵巻物、5巻、3巻途中から最後まで見て、続いて8分の漫画、遣唐使船で渡った人達、を見る。
急がない旅の良さを実感。
天平いざない館へ。
大極殿 の額の字が長屋王の写経からの集字 と聞いてびっくりする。
排除された皇子の字を当時だったら絶対に掲げることはなかっただろう。
写経からの字ではあっても光明皇后の楽毅論 にとても似ている。
結果を知っているからそう思えるのだと考えるが、やはり、二人の人間の素質、良い悪いではなく、その違いに感じ入る。
これでは同じ土俵には上がれない。







12月20日
陶器の字つけ?の後、聖武天皇と光明皇后陵に連れて行っていただく。
ここに、という想いで息をする。
左脇の皇后御陵からは東大寺を含む素晴らしい景色が一望できるのがわかる。
だが今は真正面に民家があり、意思がはね返りより内部で増大しているのではないかと ふと思った。

頭のどこかに入っていたパーツが結びつく ジクソーパズルを前にしているような楽しさを感じる時間を過ごす良い二日でした。
慌てない、慌てない
御陵から見える東大寺大仏殿