四百回忌と二百回忌

2018.6.18

 

 

2016年春 モスクワの日本大使公邸で夕食をいただいた時「2018年は日本におけるロシア年 ロシアにおける日本年です」と大使にお聞きしてから2018年がある種忘れられない年になっていた。

我が家の過去帳の中で一番古く記されている 梅岳玄竹居士が元和四年(1618)二月没 ということに気付き 他の項を見ると

観阿妙隻信女 文化十五年(1818)五月没とあるのがわかった。

以前、八ツ橋のお店の遠い年忌に 黒白でなく緑色の帯の熨斗袋に追福と書いて参加した という知人の話しを聞いていたので、

追福 という気持ちの良い言葉を知りながらこの機会を逃してはいけないと考えた。

しかし なんとも呑気で物好きなことにも思えて お花と足をお任せできる方と三人で和尚様に法要をお願いした。

本堂でのお勤めの間、四百年も昔の人を身近に感じられ 梅雨の晴れ間の庭に出ると何かとてもサッパリと胸の中が広くなったように思えた。

写真は二人の卒塔婆を手にする私です